学部・大学院


こども保健学科 教員コラム

心に浸みている言葉たち

森脇裕美子(学校保健・健康教育)



 「もしその国に知っている人がいたら、戦争しないよね。」
大学生の皆さんと同年代だった頃の私が、国際交流事業で出会ったカナダからの参加者の人からもらった言葉です。だから、こうやっていろんな人たちと知り合うことが大切なんだと。
 その事業は、世界のいろいろな国から招聘された若者と日本国中から集まった若者が、ともに生活をしながら交流をするというものでした。幸いなことに、私もその交流メンバーの一人に入れてもらい、いくつもの国の人たちのお話を聞くことができました。人と話すことが苦手な私はひたすら聞いているだけのことが多く、今考えてももったいない話で、もっと積極的に突っ込んで会話ができたらよかったのにと思います。そんな中でも、冒頭の言葉をはじめ、今でも忘れられない言葉があります。

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 南米のある小さな国から来た人は、その国では「女の子は15歳になったら結婚する」と話してくれました。平均が15歳であり、早い人では14歳で結婚する人もおられたそうです(当時)。日本では考えられないことです。しかし、その国では、当然のように女性は20歳までに複数の子どもを出産し、兄弟姉妹が6、7人いることは普通だということでした。
 現在もそうですが、女性が十代の早期に結婚し、すぐに妊娠、出産をすることが一般的な地域では、女性は十分な教育を保障されないことが多く、社会的弱者となってしまうことも少なくありません。特に、生まれてきた子どもが女児の場合には、子どもへの負の連鎖の問題も大きいとされています。そもそも若年での妊娠、出産は母体の心身に与える負担も大きく、世界的に問題となっています。しかし、「それが普通」の国があることを実感した瞬間でした。
 また、イスラエルから来ていた人は、泣きながら「戦争は嫌だ、平和に暮らしたい」と話してくれました。
 昨今ニュースになっているイスラエルとガザ地区の紛争は、当時既に起こっていました。彼女たちは、日本に来ている10日程の間だけは紛争の現場から離れられていたわけです。銃弾が飛び交うこともなく町や景色が破壊されていない日本に、ほんの数日滞在した後に彼女たちが帰っていく先には、また自分や身近な人たちの生活や生命を脅かされる現実があったのだと思います。そして、彼女たちの「平和に暮らしたい」という心底からの願いは、今もまだ深い祈りのままです。

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 普段はほとんど実感することもなく過ごしていますが、「社会が平和であること」は、私たちが健康に、自分らしく、イキイキと生きるための最低限の前提条件になっています。その「平和」は、私たちが、常に途切れることなく、お互いにお互いのことをお互いのために考え、思いやり、自分のことと同じように大切にして言動を選択していく、という恒常的な努力によって創られ、維持されるのだと思います。だから、知っている人、大切な人の輪が地域を超え、国境を越えて広がることが大切なのではないでしょうか。これは国同士だけでなく、日本の中の地域や学校、もっと身近な友達や家族であっても同じことだと思います。
 ただし、たとえ一卵性双生児の兄弟であっても、一人ひとりはすべて違う個です。お互いによく知っているはずの家族や友達となら、お互いに思いやっていれば波風が立つことはない、ということではないと思います。波風が立ったとき、ときには暴風雨の中でも、平和的に乗り越えていく方法を見つけ出せる、ということだと思います。そのためには私たちはいろいろなことを経験し、学習し、育っていく必要があり、育児や保育や教育はその力の獲得を支えるものだと思います。

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 最後に、また別のところでいただいた言葉を紹介します。「港に停泊する船は安全である。しかし、それは船が作られた本来の目的ではない。」世界に様々な困難や辛苦が溢れている中でも、幸いにして私がいろいろなことを学び、育ってこられた、それを支えてもらえたのは何故かをしっかり考えて生きなさいと言われたのだと思いました。自分がどんな船に出来上がっているにしろ、一生港の奥深くにつながれているより、ときには巨大台風と遭遇するかもしれないとしても、日本のあちこちや世界の国々をみて回りたい、いろいろな人や風景や多様な文化と出逢える旅がしたいと思いませんか?

 


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