学部・大学院


こども保健学科 教員コラム

梅雨から初夏へ移る季節の中で思う

上寺常和(教育哲学)

 梅雨の季節の準備時期に入った。台風も日本本土を襲うような季節が到来した。
梅雨の季節の挨拶には、「梅雨の候 ・初夏の候 ・五月雨の候 ・長雨の候 ・向暑の候 ・ 麦秋の候 ・うっとうしい梅雨の季節 ・長雨にとじこめられた毎日 ・衣替えの季節など」がある。これらは手紙の紙上に現れてきた。菖蒲や紫陽花が雨の季節を彩っている。しかし、一般の人たちの多くは、この時期を不快に感じる。

 梅雨(つゆ、ばいう)は、北海道と小笠原諸島を除く日本、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐってやって来る曇りや雨の多い期間を意味する。梅雨の時期が始まることを梅雨入り入梅(にゅうばい)といい、社会通念上・気象学上は春の終わりであるとともに夏の始まり(初夏)とされる。雨季の一種である。ただ、雨季が訪れる土地は世界中に多くあるが、梅雨はアジアの他の地域の雨季ほど雨足の強くない雨や曇天が一ヶ月以上にわたって続く点に特徴がある。

梅雨の気象の特徴


九州南部に位置する鹿児島市の雨温図。梅雨にあたる6月–7月の雨量が突出して多い。また、同時に、気温の上下幅がやや縮小していることが分かる

それに対して、梅雨がないとされる、北海道に位置する北海道札幌市の雨温図。6–7月の雨量は少ない。秋雨に当たる8月–10月の雨量が多い


 梅雨入り前の5月-6月ごろ、梅雨に似た天候がみられることがあり、これを走り梅雨(はしりづゆ)、梅雨の走り(つゆのはしり)、あるいは迎え梅雨(むかえづゆ)と呼ぶ。

 梅雨入り当初は比較的しとしととした雨が連続することが多く、梅雨の半ばには一旦天気が回復する期間が出現することがある。この期間のことを梅雨の中休み(つゆのなかやすみ)という。

 梅雨の時期、特に、長雨の場合は、日照時間が短いため、気温の上下(最高気温と最低気温の差、日較差)が小さく、肌寒く感じることがある。この寒さや天候を梅雨寒(つゆざむ)または梅雨冷(つゆびえ)と呼ぶ。一方、梅雨期間中の晴れ間は梅雨晴れ(つゆばれ)または梅雨の晴れ間と呼ばれ、特に、気温が高く、湿度も高い。そのため、梅雨晴れの日は不快指数が高くなり過ごしにくく、また熱中症が起こりやすくなる。

 梅雨末期には降雨量が多くなることが多く、ときとして昨年の熊野地方のような集中豪雨になることがある。南および西ほどこの傾向が強く、特に、九州では十数年に1回程度の割合でこの時期に一年分の降水量がわずか一週間で降ることもある(熊本県・宮崎県・鹿児島県の九州山地山沿いが典型例)。既に今年(2012年)長崎県では、台風第4号と重なり土砂崩れを起こしている。梅雨末期の雨を荒梅雨(あらづゆ)あるいは暴れ梅雨(あばれづゆ)とも呼ばれる。また、梅雨の末期には雷をともなった雨が降ることが多く、これを送り梅雨(おくりづゆ)と呼ぶ。また、梅雨明けした後も、雨が続いたり、いったん晴れた後また雨が降ったりすることがある。これを帰り梅雨(かえりづゆ、返り梅雨とも書く)または戻り梅雨(もどりづゆ)と呼ぶ。これらの表現は近年ではあまり使われなくなってきている。

 ところで、沖縄地方はこの梅雨の時期は、本土と違って1ヶ月早く、本土が梅雨の時期に入るときには既に梅雨の時期は終了している。沖縄の梅雨の季節は、沖縄地方では一年で最も素晴らしい季節であると沖縄の人たちは評価するという。それなら、是非この時期に沖縄地方を訪れてみたいものである。

 梅雨といえば、もう一つ強烈な印象を持っているのは、ポーランドのクラクフを訪れたとき、肌を通して感じた強烈な記憶である。まずは、ポーランドのクラクフの紹介から始めてみよう。

 もう、20年ほど前に、当時存在していたソビエト連邦から東欧諸国(幼児教育視察旅行)を訪問したことがある。記憶によると、クラクフ空港は随分と田舎っぽい空港であった。飛行機は[ズドン]としりもちをついた衝撃を感じさせたずいぶん荒っぽい着陸をしたように記憶している。空港からクラクフまではそれほど遠くなかったが、高速道路ではなく一般道を走らされた。さて、クラクフの見所はなんといっても世界遺産にも指定されている旧市街地であろう。ポーランドで最も歴史のある都市であり、プラザ広場にある塔の上の仕掛け時計(正午の鐘に合わせてラッパを吹く見張り役の人形が出てきて敵が来たことを知らせるラッパ手がラッパを吹く、その途中でラッパ手は戦死してしまう、そのためラッパの音は途中で消えてしまう)は観光の名物である、さらにヴァヴェル城、マリアンヌ教会、中央市場広場、コペルニクスがいたヤギオ大学といった見所がある。

 それに加えて、スピルバーグのアカデミー賞をもらった『シンドラーのリスト』の舞台となったユダヤ人コミュニティ、カジミェシュ地区もある。個人的にはヴァヴェル城の中にある大聖堂に感心した。建築の骨格はゴシックであるが、礼拝堂がルネッサンス式であり、また煉瓦造りであることから、ドイツのゴシック教会にはない優しさに溢れている。同様に感心したのは旧市街地にあるマリアンヌ教会である。14世紀に建てられたゴシック様式の教会であるのだが、その塔の装飾の美しさはほれぼれとする。この教会も煉瓦造りであり、ドイツのものとは一線を画す。ドイツのゴシック教会はあまり好きになれない私だが、この教会には大いに惹かれた。内部空間も素晴らしいものであった。

 カジミェシュ地区は『シンドラーのリスト』を観たあと訪れると、グッとくることが予想される。シンドラーはまさに第二次世界大戦中にクラクフで活躍した人であるが、この地区には当時の彼とユダヤ人達の生活の息吹が今でも感じられるようだ。ポーランドは第二次世界大戦において、ドイツ軍によってワルシャワを始めとしてほとんどの都市が壊滅されてしまった。しかし、このクラクフはドイツ軍の司令部が置かれたために、破壊されずに済んだ。また、連合軍はこの都市の歴史的建築物を破壊しないために爆撃を避けた。ということで、奇跡的にポーランドにおいて歴史的な旧市街地が保全されたのである。ある意味、まだ観光地として一般の人に人気があるまでには知名度が高くなっていないために、プラハ(私自身は一度も訪問したことがないが、一度訪問したことのある私の娘の話から推測すると)より味というかキャラが保全されている印象を受ける。そういう点で、敢えて訪れた甲斐があった。周辺にはこの旧市街地に加え、アウシュビッツ、ヴィエリチカ岩塩抗がある。

 アウシュビッツは、クラクフからそう遠くないところにある。第2次世界大戦のときユダヤ人を中心に、ナチスによって殺人工場がつくられ世界中からユダヤ人が集められ日常茶飯事ガス室をはじめ多くのユダヤ人、一説に150万人が5年間に殺害された。

 アウシュビッツ強制収容所。第二次大戦中、ヨーロッパ各地で集められたユダヤ人や反ナチスの活動家達が、長い列車の旅を終えて最後に辿り着いた「終着駅」である。ここで列車を降りた人々は、レンガ造りのバラックに押し込められ、毎日10時間もの強制労働に就かされた。彼らはろくに食事を与えられずに餓死するか、劣悪な衛生環境の下で伝染病などにかかって死ぬか、さもなければガス室に送られて殺された。

 アウシュビッツはポーランド南部の古都クラクフから列車で1時間半のところにあって、今は半世紀以上前に起こった悲劇を伝えるために、ナチスが撤退するときにほとんどの施設が壊されたが、再建され、当時のままの状態で保存され、一般に公開されている。

 敷地の中には強制労働者を収容するためのバラック小屋が並んでいるのだが、大半は破壊されていて原形を留めていない。敗戦間際、ソ連軍が国境線を突破してアウシュビッツに近づきつつあることを察知したナチスが、証拠隠滅のために施設全てを破壊しようとしたからだ。

 廃墟と化したアウシュビッツの中で、ひときわ目を引くのは煙突である。建物が徹底的に破壊されているところでも、煙突だけは残っているのだ。どうしてナチスが煙突だけを破壊しなかったのかはよくわからない。
アウシュビッツ強制収容所のユダヤ人の生活や苦悩を知るには、ヴィクトール E.フランクルの『夜と霧』を読むことをお勧めする。

 私が、当地を訪れたのは真夏であったが、まさに日本の梅雨を想像させるものであった。とにかく蒸し暑い一日であり、当地を訪れるだけで気分は落ち込んでしまったことを思い出す。この心情は、世界で始めて原爆の洗礼を浴びた広島の原爆資料館を訪問したときと同様なものであった。人間のおろかさは、一度だけでなく繰り返し私たちを失望の奈落に落としいれる。それでもなお、人間に期待している人間がいることを忘れてはならないであろう。

 昨年の梅雨は日本各地に大きな災害を与えた。特に、熊野の水害は記録的なもので土砂崩れによって自然のダムをいくつも作ってしまい、決壊による大量放水という危険な状態が危惧される状態がしばらく続いた。私たちは、去年は東日本大震災に発する大きな災いによる多くの人命を奪われてしまい悲しい思いを経験した。想定外の経験は、人類にとって大きなショックとなってしばらくは、われわれ人類の活力を生み出せない状態が続いている。しかし、人間は、この困難な状態から希望を持って次の新たな世界を創造していく。ただ、この悲惨な経験を生かして、人類の幸福へと突き進まなければならない。科学と自然との調和を、とりわけ自然科学と自然との調和を考えていくことが、人類の至福へと繋がる。人類は多くの過ちを犯す、その中から多くのことを学び人類の幸福を求めて前進するのである。災害と安全教育の取り組みは、教育においては重要な課題になった。
 幸い私たちは、世代の交代を継続的に続けることが出来る、これはまさに前進を阻む壁をも切り崩して実現する可能性と個人の完成に最も貢献する自律性を人類は持っていることを証明している。


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