学部・大学院


こども保健学科 教員コラム

あしわるクロちゃん

杉岡 幸三(発達神経行動科学・機能形態学分野)

  冬の寒い朝、目覚めると、まず最初にマンションのベランダに出て外を見る。そして「今朝はヒーちゃんとオーちゃんばっかりだなあ。ウーちゃんはいつものようにいっぱいいるけれど」と家人に声を掛ける。「マーちゃんは?」と家人が尋ねる。「マーちゃんはまだみたいだね」と応える。これが冬の朝の、家人とのいつもの最初の会話である。
 この会話の内容を理解できる人はおそらくいないだろう(と思う)。私のマンションのすぐ横を武庫川が流れている。上の会話は、冬に武庫川にやってくる鴨についてのその日の情報交換である。ヒーちゃんはヒドリガモ、オーちゃんはオナガガモ、マーちゃんはマガモのことである。ウーちゃんは鴨ではなくて、川鵜のことである。
 私は、リス(栗鼠)ちゃん(もう15年間以上、今まで7匹のリスをペットとして飼った)が大好きで居室の一角をリスちゃんグッズで満たしているが、家人は調査官として京都家裁に勤務していた時、裁判所の傍を流れている賀茂川で泳いでいる鴨(とくに最も色鮮やかなマガモ)に強烈に魅せられて、それ以降、リビングの一角をカモちゃんグッズで満たしている。家人のためにカモちゃんグッズを買ったりしているうちに、いろんな種類と美しい羽根色をもった鴨が私もどんどん好きになってきて、今では、「鴨好き指数」は家人と対等であると思っている(きっと家人は否定する、と思うが・・・)。わざわざ琵琶湖に一泊してカモちゃん観察にいったこともたびたびである。姫路城のお堀にもカモちゃんがいる。たまにマガモがいるが、ほとんどはカルガモ(マガモの近い親戚)で、ちびっ子ギャングのような顔付きのカイツブリもたまに見かける。

挿絵画像

  そのような去年の冬の寒い朝、いつものように川面を眺めていると、少し離れたベランダの手すりのところに、小柄でむっくりとした黒い野鳥がこちらを見ている。第一印象は、どう見ても、可愛いとか、美しいとか、そのような言葉とは無縁の野鳥であった。鴨にはめっぽう詳しいが、野鳥については知識は乏しい。冬というとヒヨドリしか思いつかなかったので、私はその野鳥をヒヨちゃんと名付けた。ベランダの手すりにリスちゃん専用のクッキーをそっと置いてやると、少しこわごわと近づいてきて、さっとそのクッキーを口にくわえて飛び去っていった。翌朝もヒヨちゃんはやってきて、同じようにベランダの手すりにクッキーを置いてやると、ゆっくりと私の方に近づいてきて、そのクッキーを口にくわえて飛び去っていった。翌朝は、私がみている前で、あたりを少し警戒しながら、尾羽を時々ピュッピュッと下に下げながらそのクッキーをついばむようになった。何度かそんな朝を繰り返した。家人と私は、いつの間にか、その鳥を「うちのヒヨちゃん」と呼ぶようになっていた。
 その日も、朝起きて、いつものようにベランダに出ようとしてカーテンを開けると、目の前のベランダの手すりに、ちょこんと、うちのヒヨちゃんが座っていた。まさしく、私がカーテンを開けてベランダに出てくるのを待っていたかのようだった。「遅いじゃないか! 大分待ったよ」(と言っていたと思う)。クッキーを手元に置いてやると、チョンチョンと近づいてきて、私の目の前でクッキーをついばんだ。その瞬間、私と(家人と)ヒヨちゃんは、友人同士になった。朝食時にも「うちのヒヨちゃん、可愛いね」という会話がはさまれるようになった。
 ベランダから外を見ていると、きれいな声で鳴きながら、特徴的な飛び方をしている、少し大柄の薄茶色の鳥が目に付くようになった。今までは川面しか目をやらなかったのだが、野鳥も気になりだしたのだ。実はもうひとつ、気になることがあった。「うちのヒヨちゃん」は本当にヒヨドリなのだろうか・・・。何となく決めつけていた大事なことを確認していなかったのだ。勇気を出して、というのも変な話だが、実際、そのような気分で本箱から野鳥図鑑を取り出して、じっくりと眺めた。ヒヨドリは、「うちのヒヨちゃん」とは似ても似つかない鳥であった。時々みかける、あの特徴的な飛び方をしている、少し大柄の薄茶色の鳥がヒヨドリだった。落ち着きなく、きょろきょろと周りを見渡しながら餌をついばむ、ストリートギャングのような顔つきの鳥である。
 それでは「うちのヒヨちゃん」は・・・、と本気で焦りながら図鑑を繰っていると、最後の方に、「うちのヒヨちゃん」とよく似た野鳥が小さく載っていた。「カワガラス」だった。あまりにも名前が悪すぎる、というのが正しい最初の反応だった。カワガラスといっても、いわゆるカラスとはまったく無関係で、色が黒いからそう名付けられただけのようである。清流付近に生息し、浅い水辺に飛翔してきて、そのままくちばしを水中に素早く突っ込んで、虫などの餌をついばむ。「知られざるカワガラスの生態」というようなタイトルのNHKの動物自然番組をたまたま先日見たから今はよく知っているのである。さて、「うちのヒヨちゃん」という名前はどう考えてもまずい、ということになった。「うちのカラスちゃん」、「うちのカワちゃん」は、すぐに却下され、最後に「うちのクロちゃん」と呼ぶことに家族の意見の一致があった。
 「うちのクロちゃん」は、その後も、友人として毎朝、我が家を訪れ、挨拶をしてくれる。いつものようにクッキーをついばんでいる姿を何気なく見ていると、時々、片脚を上げたり下げたりしている。ベランダの手すりのところで私が来るのを待っているときも、右脚だけで立っていることもある。それまでまったく気にしなかったのだが、よーく目を凝らして見ると、左側の脚がまっすぐではなく、脚クビあたりで後方に曲がって、かなり膨らんでいる。片脚立ちをしていたり、片脚を上げ下げしながらクッキーをついばんでいたのは、左脚に傷を負っていたせいだったのだ。かばいながら左脚を上下しているのだから、きっと痛いのだろう。不憫で可哀そうだったが、何もできない。できるのは餌をやることだけだった。「うちのクロちゃん」は、しかし、律儀ともいえるほど、毎朝、我が家を訪問してくれ、私たち家族に喜びを与えてくれた。いつの間にか私たち家族は、「うちのクロちゃん」を「あしわるクロちゃん」と呼ぶようになっていた・・・。しかし、ある日、突然、「あしわるクロちゃん」は我が家に来なくなった。何の前触れもなく、まったくピタッと来なくなった。当たり前のことだが、何の挨拶も無しに・・・。あの怪我では、鳥として正しく生きていくのは無理だったのだろう、どこかで無残な姿をさらして死んでいるのではないか、と考えると可哀そうで悲しく涙がとまらなかった。ひと冬だけの「あしわるクロちゃん」との深く愛情に満ちた交流であった。
 一年経った、今年の春先である。いつものように、ベランダに出た。何とそこに「あしわるクロちゃん」がいた。鳥の顔を判別することなど決してできない。しかし右脚だけで立っている、時々左脚を上下している、あの「あしわるクロちゃん」が間違いなく私の前にいた。私は驚き、家人に声を掛けた。家人がベランダまでやってきた時、「あしわるクロちゃん」は飛び去って行った。「この一年、鳥として正しく生きてきたよ。去年はありがとうね。」と「あしわるクロちゃん」はきっと私たちに告げに来たと思う。その時、私の部屋のCDから、MJQ (Modern Jazz Quartet) の「Softly, as in a morning sunrise」が流れていた。(その後「あしわるクロちゃん」が我が家を訪れることは一度もなかった・・・)



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