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第40回

あるセレンディピティ

生物有機化学教室 白石 充 教授


 大学に着任するまで製薬会社の研究所で30数年間、新規化合物のデザイン・合成研究等に従事していたことを述べたが、今回は結果的に新薬創製に繋がった“あるセレンディピティ(serendipity)”について、有機・医薬品化学研究者の立場から触れたいと思う。セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。これまでの新薬開発の歴史をみると、多くは長いプロセスのどこかに、セレンディピティ的な発明・発見がある。A. Flemingが培養実験の際に誤って、雑菌であるアオカビを混入させたことが、後に世界中の人々を感染症から救うことになるペニシリン抗生物質発見のきっかけとなったことは余りに有名である。クロルジアゼポキシド(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)、シスプラチン(抗ガン剤)、ジルチアゼム(高血圧症治療薬)、ミノキシジル(育毛剤)、シルデナフィル(勃起不全治療薬)などもこの代表例として挙げられる。
 非プロスタノイド系トロンボキサンA2 受容体拮抗薬セラトロダストの探索研究の過程で、セレンディピティ的な発見があった。当時、次世代気管支喘息治療薬の創薬ターゲットとしてSRS-A(slow reacting substance of anaphylaxis:アナフィラキシー遅延反応性物質)に着目してキノン化合物の探索研究を始めていたが、いわゆるアラキドン酸カスケードの概念が確立され、B. SamuelssonらによってSRS-Aの主成分は5-リポキシゲナーゼを介して産生されるロイコトリエンC4、D4およびE4の複合物であることが解明された翌年、5-リポキシゲナーゼ阻害薬AA-861が創出された。
 キノン化合物AA-861合成の発端は、ヒドロキノンの水酸基の保護基として用いようとしたジヒドロフランが予想外にFries転位型の反応を起こし、一挙に炭素-炭素結合した2-(2-テトラヒドロフラニル)ヒドロキノン体が高収率で得られたことから始まる。本化合物は分子内ベンジルエーテル構造をもつことから、酸触媒存在下で接触還元することにより、テトラヒドロフラン環が開裂してブタノール体を得(新規4-ヒドロキシブチル化反応)、これを利用して一連の長鎖不飽和アルコール(脂肪酸)側鎖を有するキノン誘導体に導くことができた。その結果、5-リポキシゲナーゼ阻害薬AA-861の創出に繋がった。しかし、AA-861はヒト臨床試験において、主に抱合体形成による生体内代謝が早く明確な臨床効果が認められず、開発中止となった。
 AA-861の欠点を補うべく、立体的に嵩高い置換基をキノン骨格や側鎖に導入すると共に、アラキドン酸代謝産物の構造因子・官能基を考慮した分子設計を行い、キノン化合物の合成を継続した。その結果、キノン側鎖のα位にフェニル基を導入したキノン化合物に作用持続の長い抗喘息活性が認められ、とりわけAA-2414(セラトロダスト)は、非常に強い活性と作用持続性を示した。しかし、その主たる作用機序は5-リポキシゲナーゼ阻害作用ではなく、意外にもトロンボキサンA2 受容体拮抗作用であった。
 医薬品の創製はよくオーケストラの演奏に例えられる。セラトロダストの創製には、特にプロジェクトリーダー、合成グループ、薬理・生物グループの方々の多大な貢献があったことは言うまでもない。新薬の創製に立ち会えたことは幸運であった。意欲をもって努力しても必ずしも報われるとは限らないが、熱意と努力なしには幸運は訪れることはない。 何事にも通ずる思いである。

 

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