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薬学部コラム

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第42回

播州の山から里山へ

漢方・生薬学研究室 中村 隆典 准教授


生態園

 平成19年薬学部がスタートすると同時に、播州の山を薬用植物園にする構想を進めてきました。それはつまり、自然の山を人工的に整備するという事です。最初に“生態園”と名付けた山では、鹿は行儀よく、猪は人目に触れず、また、野鳥はコーラス隊を結成し楽しそうに共存していました。では、この貴重な山の生態系を全く壊すことなく、人々の自然観察の場、学生が自然を実体験できる場にする事ができるのか?その方法はあるのか?現実的には皆無なのです。
しかし、それを人間の都合で結び付けるならば“里山”くらいしか思いつきません。余談ですが、最初に“里山”という単語が生まれたのは1759年6月に尾張藩が作成した“木曽御材木方”という文書においてであり、これによると“里山”とは「村里家居近き山をさして里山と申候」と定義された事に始まります。
 現代で言われる“里山(さとやま)”とは、集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が存在する山を指します。“里山”概念の普及に大きな影響を与えた人物が、四手井 綱英(しでい つなひで;日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。京都府立大学名誉教授。京都府生まれ)と言われています。
 話は元に戻りますが、現在の生態園には頂上迄に散策路が三本あり、全長は300m程度で“観察道”や“散歩道”に適した道になっています。このような人の手を加える事により、ブナ科植物の山に付き物であるオオスズメバチの巣や、散策路脇を散歩する蛇、そして大量発生していたカミキリムシも殆ど目にしなくなりました。結果的に、夏から秋にかけて騒がれるオオスズメバチや毒蛇の重大な被害や、樹木の生存を左右するようなカミキリムシの被害はなくなりました。
 散歩道として最適になったことで山に登る人たちが増え、表面上はにぎやかになりました。ところが、天然の薬用植物、植樹した苗や移植した植物を持ち帰る人がだんだん目につくようになりました。それに伴い、休み明けの山頂や散策路脇には、空き缶やペットボトル、弁当の殻が置き去りということも増えてきました。
 「何とかしたい」。まさに野口健の富士山清掃活動を想い出しました。私は、山男(やまおとこ)の原点に返り、最初は“挨拶”から始める事にしました。半年も続けるとヒトというのも捨てたものではありません、近所の人から「先生おはよう」「先生ごくろうさん」などと声の数が日を追うごとに増えてきました。
 思い起こせば生態園ができて三回目の秋を迎えようとするある日の事でした。幼稚園くらいの男の子と私よりはるかに若いお父さんが、明らかに自分たちの出したゴミではないものを、自分たちのゴミと一緒に持って降りてきた姿を見た時は、何とも言えないほどの感激の気持ちになり言葉を失いました。ちっちゃな子供に“ありがとう”を、なんども何度も繰り返すだけでした。
 “現代で言われる里山(さとやま)とは、集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が存在する山”の言葉のように、私一人が生態を変えないように自然のまま残したいなどと頑張ったところで、良い山ができるわけではない。近隣の人に愛される“里山”こそが、生態園のあるべき姿かなと最近思い始めました。しかし、小さな力でも“継続は力なり”というように、私のできる事を日々楽しく幸せに感じながら続けていきたいと思っています。

 

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