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薬学部コラム

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第6回

千年の保証

漢方・生薬学研究室 本多義昭 教授


天平勝宝8年(756)6月21日、聖武天皇の忌明の法要が行われ、光明皇太后は天皇の遺愛品六百数十点を東大寺の廬遮那佛(大仏)に献納された。それらは現在も正倉院に大切に保管されているが、毎年奈良国立博物館で開催される正倉院展には、この貴重な宝物が展示され、多くの人が訪れる。

光明皇太后はまた、これら宝物とは別に、六十点の舶来薬物を奉納された。その品目や数量については「種々薬帳」と称される献物帳に詳しく記されている。また、「種々薬帳」の巻末には以下のような起請文が記されている。

「以前は堂内に安置して、廬遮那仏に供養す。若し病苦に縁りて用う可き者有らば、並びに僧綱に知らせて後、充て用うることを聴(ゆる)さん。伏して願わくは、この薬を服する者、万病悉く除かれ、千苦皆救われ、諸善成就し、諸悪断却し、業道に非ざる自りは長じて夭折する無く、遂に命終の後、花蔵世界に往生し、廬遮那仏に面し奉らしめ、必ず遍法界位を証得せんと欲するを」

実際に、これらの薬物は施薬院へ施与され、また東大寺、内裏などでも使われて、以降の100年間でかなりの量が消費された。出倉記録によると、例えば大黄では、収納時991斤8両(221kg)あったものが、100年後には87斤13両2分(16.4kg)、甘草は960斤(214kg)が45斤2両(10.1kg)。桂心(桂皮)は560斤(124.8kg)が54斤9両(12.1kg)になっている。

この正倉院薬物については、戦後間もなく、昭和23年から26年にかけて、東京大学薬学部の朝比奈泰彦教授を班長とする本格的な調査が行われた(一次調査)。また平成6、7年にも追加の二次調査がされて、現在は出版物等でその全容を伺うことができる。

次に記すことは、小生が所属した講座の主任で、一次と二次の両方の薬物調査の班員であった、故木島正夫京都大学名誉教授から直接聞いた話である。

「薬物調査とは別に、正倉院御物の調査がなされた時、白檀の箱に納められた色鮮やかな織物が出てきた。調査のあと、研究者の間でその保存方法が検討され、『新たな容器に防腐剤としてナフタリンを入れて、保管するのがよかろう』ということになった。しかし、この考えには管理者の宮内庁側から異議が出された。『なるほど、科学の第一線に居られる先生方の言われるように、最新の化学の成果であるナフタリンで保管するという考えは正しいのかもしれません。しかし、目の前のものは一千年間保管した結果です。先生方が言われるような形で保管した場合、一千年後にもこれまでの一千年と同じ劣化で済むという保証をしていただけるでしょうか?白檀の箱に保管するというのは、科学的知識のない時代に考えられた方法ではありますが、一千年を経た今日のこの姿に、この方法での向こう一千年の保証が示されてあります」

その織物は、新しい白檀の箱に納められたということである。

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