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薬学部コラム

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第12回

将来生まれてくる子どもたちの人生の幸せのために私たちができる最初のレシピ

機能形態学研究室 杉岡 幸三 教授

 私たちのまわりには私たちを脅かすものが沢山ある。もちろん楽しいことも山ほどあるが、ひっそりと息をひそめながら、知らず知らずのうちに私たちの身体をむしばもうとしている沢山のものがある。私たちは自分の責任のもとで、ある場合にはそれらを享受したり、また逆にそれらを避けたりしながら生活することができる。しかし、もの言えない乳幼児や、ましてや今から闇の谷を抜けて、この世界に足を踏み出そうとしている胎児はまったく無力である。安全で楽園のような子宮の中でも胎児は必死で闘っている。しかしこの闘いも母親や父親、そして彼らの周りを取り巻く人たちと一緒でなければ決して良い結果はもたらされない。生まれ出た赤子は苦行僧のような顔をしているという。出産という思わぬ苦行を強いられ、今までの安全で楽園のような環境をそれこそ木っ端みじんに破壊されて胎内を出るのだから当然である。

  医療技術は驚くほど進歩し、かつてはとうてい助かることのできなかった超未熟児までも救われるようになった。しかし、人生の最初の第一歩から多くのハンディキャップを背負って生まれ出てくる多くの子どもたちがいる。これらの子どもたちの中には、避けることができる種々の環境因子が原因となっている場合がある。このような環境因子の胎児への障害効果は、精神発達遅滞や行動異常のような脳の機能的障害として現れることが多く、子ども自身だけでなく、その子どもを育てる両親、またこれらの人たちを取り巻く多くの人たちも大きな身体的・精神的また社会的・経済的負担を一生涯にわたって負うことになる。

  私は以前、共著者の一人として、「胎児は訴える-行動異常をもたらすもの-」というタイトルの本を出版したことがある。しかし今になって考えてみると、「胎児が訴える」ことなど、まったくできる筈はないのである。胎児を取り巻く環境(これは母体そのものであると同時に母体を取り巻く環境でもある)に、自らに危険をもたらすような変化があったとしても、せいぜい、将来自分を育ててくれるだろう母親のおなかを蹴とばすことぐらいしかできないのである。しかし、その行動が何かの危険を胎児が訴えている行動なのか、それとも逆に母親の母性本能をくすぐるために遺伝的に仕組まれた行動なのか、それは誰にも分からない。

 1個の卵子と1個の精子が運命的に出会い受精が行われる。私は、卵子と精子が出会うこと、すなわち受精の瞬間から命が育まれるということは、互いに見知らぬ男女が運命に導かれるように初めて出会い、幾多の困難を乗り越えて愛し合い、そして結婚するのと似ている、と思っている。このようなドラマチックな過程が私たちヒトの中で起こっているという、この漠然とした驚きと喜びを共有しないヒトは不幸であるとさえ思っている。

  私は機会あるごとに、「子育ては受精の瞬間から、いや受精のもっと前から始まる」ということにしている。また、もし妊娠したのなら、もし妊娠の可能性があるならば、そしてもし妊娠することを希望するならば、以下のことに気をつけるように、と進言することにしている。

  1. アルコールやタバコは絶対に摂取しないこと。これらの嗜好品の過剰摂取は、生まれてくる子どもに軽度の脳の機能異常をもたらす危険性がある。アルコール依存症の母親が出産したばかりの新生児の吐く息が酒臭かったという報告さえある。
  2. 残留農薬や不法農薬また禁止されている防腐剤からの危険性を回避するために、野菜などはよく洗ってから口にすること。私は以前、ある地方で、バケツからくみ上げた杓子に入った農薬をキャベツの上にドロッとかけているのを見て背筋が寒くなったことがある。
  3. ビタミン剤を含む、いわゆる健康サプリメントの摂取の際には、添付されている注意書きをよく読んでから服用すること。ある種のビタミン類の過剰摂取は重度の神経学的異常をもたらす可能性がある。大抵の場合、このような健康サプリメントの注意書き書には、妊婦は多量に摂取しないようにと、小さく記載されている。
  4. 病気にならないように気を付けるのは勿論、医薬品を服用する際には、医師や薬剤師の指示を正しく守ること。これは、妊娠中には絶対に服用してはいけない多くの医薬品があるからである。妊娠している可能性がある場合も、恥ずかしがらずに、是非、担当医師に告げることが必要である。
  5. マグロなどの大型魚類、鯨などの海棲哺乳類には基準量を超えた環境汚染物質が含まれている可能性があり、必要以上に摂取しないこと。マグロには頭を良くするDHA(ドコサヘキサエン酸)が多く含まれているので身体に良い、という報告と相反することではあるが、大型魚類を日常的に摂食している北極海に面した外国の漁村で生まれた子どもの知的障害の発生確率が平均よりも高いという報告もある。
  6. その他、熱すぎるお風呂や逆に冷たすぎる環境に長時間居ることを避けること、また化粧品や毛染め剤に含まれているある種の物質も胎児に悪影響を及ぼす恐れがあるという認識をもつこと。髪の毛を金髪に染めた妊婦や赤ちゃんを抱っこしているお母さんを時々みかけることがあるが、私はそのたびに言いようもない悲しさにとらわれる。

  このように、様々な有害環境物質、間違った使い方がされている薬剤、いくつかの嗜好品や麻薬などの濫用、異常ともいえる食生活の変容、この様な私たちを脅かすものが私たちの日常生活のまわりに沢山ある。私たちは自らのためにも、そして将来の子どもたちの人生の幸せのためにも、これらのことをもっともっと自覚しなければならない。この「自覚」という最初のレシピが、生まれてくる子どもの人生のすべての始まりと終わりを決めてしまうかも知れないというのは言い過ぎだろうか・・・。

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