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「播磨学II」(第4回)を開講(報告)[教務課・地域連携課]

2013/11/01

10月25日(金)、姫路文学館学芸課の甲斐史子係長をお迎えして、「『播磨国風土記』入門」というテーマでお話しいただきました。講演要旨は以下の通りです。

奈良時代初めの和銅6年(713)、政府は国々に各地の地理や特産物、伝説を記録した報告書を出すよう命じた。その報告書「解」が後に「風土記」とよばれるもので、播磨、出雲、常陸、肥前、豊後の5つ国の写本が残されている。郷里制の施行時期から判断して、これらの風土記の中で、播磨が最も早く作られたと考えられている。「播磨国風土記」の唯一の写本として三条西家本が現存するが、それを発見したのは加賀藩第5代藩主の前田綱紀であった。

「播磨国風土記」の特色は、土地の肥沃度が細かく記録されていること、「古事記」や「日本書紀」に現れない独自の神、伊和大神(イワノオオカミ)が登場すること、朝鮮半島や日本各地から来た神や人々にまつわる記事が多くみられることである。

「播磨国風土記」は、姫路に置かれた播磨国府でまとめられた。大国である播磨には9人の国司がいた。当時の国司の在任期間から考えると、編纂を担当した可能性のある人物として、巨勢朝臣邑治(こせのあそんおおじ)、石川朝臣君子(いしかわのあそんきみこ)、楽浪河内(さざなみのかわち)が挙げられる。

大正時代半ば柳田國男らが、ほとんど研究されていなかった「播磨国風土記」の講読に励み、実兄で国文学者の井上通泰に研究を勧めた。井上著『播磨国風土記新考』(昭和6年)は、今も風土記研究における必読書である。また柳田の実弟の松岡静雄も『播磨風土記物語』(昭和2年)を著している。柳田兄弟は風土記のナゾに挑んだのである。

(文責:大塚健洋)

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