科学の世界には、基本的に国境は存在しない。英語で論文を記載すれば、国外の研究誌に投稿することができ、レフェリーにより審査され一定の水準に達すればAccept(採択)される。レフェリーは投稿者と利益相反しない専門家が国境を越えて選ばれる。私事で申し訳ないが、修士号の取得には研究指導者のお力で投稿した時点で論文の完成度は高くReject(拒絶)されることはほぼ無かった。しかしながら、博士号の時には特定の指導者は存在せず研究者としての自立を求められていたため、投稿時の完成度は低くRejectされ続けた。レフェリーの的確なコメントに対し実験を追加したが、あまりのコメントの厳しさに自信を失い学位を諦めかけたこともあった。論文の質を高めるために問題点を指摘し著者に改善を促すのがレフェリーの役割であり、後に自身でレフェリーをするようになると著者を否定するのがその役割ではないことを痛感した。数年間Acceptされず論文の無い時代が続き最も実績の無かった時期ではあるが、研究者として最も成長した時期と自認している。
科学以外にも国境の存在しない世界はあり、芸術はその一例と言える。一方、スポーツの世界では国境を感じさせるものが多いが、例外として英国発祥のラグビーに国境は存在しない。一般的なスポーツでは各国代表資格に関し国籍が前提となるが、ラグビー代表には要求されていない。例えば、国籍を有していなくても両親または祖父母のうち一人が日本出身、或は、現時点で日本に3年以上住んでいれば日本代表の資格を有すると規定されている。その結果、ニュージーランド・トンガ・韓国出身者も日本代表に含まれることとなる。第8回ワールドカップで日本が南アフリカを倒した時、番狂わせの少ないラグビーでは「奇跡の勝利」と呼ばれた。今回も予選リーグで優勝候補のアイルランドを倒しプールA1位で決勝リーグに進み、再び日本は世界に衝撃を与えた。
ワールドカップでも試合前はそれぞれの国を背負ってパフォーマンスを行い、ニュージーランド代表(オールブラックス)のハカは特に有名である。試合が終われば互いの健闘を称え、握手し、場合によっては汗まみれのジャージを交換しあう。ラグビーが他のスポーツと大きく異なる点は、ノーサイドという言葉に集約される。それは観客にも波及し、どちらかのサイドに分かれて応援するのではなく、敵も味方も隣り合って混在している。アイルランドに勝利した後、日本代表はグランドで観客に感謝の意を込めて挨拶をしていた。その間、自分たちを倒した日本代表をアイルランド代表は待ち続けていた。日本代表が控室に戻る時、アイルランド代表は花道を作り勝利ばかりでなくその成長をも祝福する姿に、こちらも敬意を表するしかなかった。
成長というのは、目に見える形で現れた時に周りの人は気づくことが出来る。しかしながら、その萌芽はうまく結果が出ずもがいている時にあると私は確信している。ラグビーワールドカップ日本大会に先立ち、国際リーグ:スーパーラグビーは日本代表の強化を目的として日本代表およびそれに準ずる選手で構成されるサンウルブズの参加を認めてくれた。サンウルブズは毎年最下位かブービーであった。また、日本代表はティア1と呼ばれる強豪国・伝統国との対戦では1勝しか挙げられなかった。しかしながら、4年間の敗戦から多くのことを学び改善した結果、前回敗北したスコットランドにも勝利し、歴代最多勝利ばかりでなく、日本史上初の決勝リーグ進出しかも1位通過に繋がったのであろう。サンウルブズ時代は結果こそ残せなかったかもしれないが、日本代表にとって最も成長した時期の一つではないであろうか。努力したからと言って全ての人の夢が叶うわけではない、夢破れて意に添わない人生を送ってしまうこともある。夢は、追う人ばかりでなく、支える人の人生にも影響を与える。日本代表の選手達は、スタッフ・関係者も含めワンチームという言葉を良く用いた。夢を追う人の冬の時代にも寄り添い、その成長を信じ励まし続けた方々の存在も忘れたくない。