三国志といえばかなりの人が知っていると思いますが、それより遥か昔、今から4千年前から中国の政治的・文化的基礎をつくった古代王朝があったことをご存知でしょうか。夏・商(殷)・周の古代王朝は司馬遷の「史記」に登場しながらも、これら王朝の遺跡を見つけることができず、長らくその存在は謎とされていました。その中で、商は1899年甲骨文字(図1)の発見を契機として殷虚(河南省安陽市)の発掘が行われ、4本の墓道を有する約24平方キロの王墓からその存在が実証されました1,2)。殷墟は殷後期の遺跡ですが、殷中期二里岡遺跡(河南省鄭州市)の近くに殷前期二里頭遺跡(河南省偃師市)が1959年発見されました。二里頭遺跡からはトルコ石で竜を模った杖(図2)が出土し、中国では竜は権力の象徴であることから殷に先立つ王朝の遺跡、即ち夏虚ではないかという説が出されています1,2)。あの伝説の聖王禹が始祖となった夏王朝の実在が証明されたならまさしく世界遺産となり、調査結果が待ち遠しいですね。2004年5月初め、中国陝西省宝鶏市に周王族の墓と目される大型墓群が見つかり、周公廟遺跡として公開されています(図3)。その正殿には、周武王(姫発)の殷紂王東征を補佐した周公(姫旦、しゅうこう・たん)が祀られています。武王亡き後、革命後の不安定な時期に自らが王となるのではなく幼い成王の摂政として国政の安定に尽力したと伝えられています。左殿に祀られているのは召公奭(しょうこう・せき)で、武王より後継者の成王を託され、北燕に封ぜられ、成王が崩じると諸侯を説いて康王に従わせ、周王朝の礎となりました。右殿に祀られているのは大公望(たいこう・ぼう)で、日本では釣り師の代名詞となっています。太公望とは「先君太公が待ち望んだ賢人」の意で、姓は姜、氏は呂、名は尚、字は牙と伝えらえています2)。地表だけ見ても地下に宝が眠っているとは誰も気づきませんが、甲骨文字から殷虚の所在が特定されたことによりその地の考古学的価値が見出されたと言えます。
表面的には価値がないような見える地であったとしても、見方を変えると美や真理が潜んでいることがあります。例えば、絵画であれば下地は絵具を載せるための台にしか過ぎないと思われる方も多いでしょう。しかしながら、下地が画家の求める表現において重要な役割を果たすことがあります。江戸時代中期(18世紀)、円山応挙が後に国宝に指定される「雪松図屏風」を描きました(図4)。狩野派に師事し日本画を学んだ応挙ですが、必ずしも写実的とは言えませんでした。応挙は、眼鏡絵製作にも携わり透視図法による遠近表現(西洋画法)も修得した結果、東西の画法を融合させ「写生」という概念を育みました。写生とは単なるスケッチではなく、「そのものの持つ風情や生命感までをも描き表すこと」と専門家は語っています3)。三井記念館で初見した時、松の枝に雪が本当に乗っている様に見えたので、どうしたらそう描けるのか興味を抱きました。近づいて見ると雪の部分には絵具は無く、下地の白色を生かして雪を表現していました。「描かずに、描いている」と気付き鳥肌が立ちました。調べてみると応挙以前からある手法でしたが、筆の擦れを使って軽やかに積もる雪の質感まで描ききっているのは見事という他ありません。西洋画であればキャンバスに絵の具が乗っていなければ描き残しとして未完成となるかもしれませんが、下地の白を雪に見立てその芸術的価値を示したと言えます。
科学の世界で地に相当するのが、バックグラウンドと呼ばれる測定対象以外に起因する計数値です。通常バックグラウンドはノイズとして扱われ、0に近づけることが実験精度を高める上で求められます。しかしながら、一見無意味にしか思われないバックグラウンドがノーベル賞に繋がることもあります。その快挙は、米ニュージャージー州ホルムデルにあるベル研究所のホーンアンテナを用いて成し遂げられました。
「宇宙空間を旅してくる電波の中にあらゆる努力をしても取り除くことの出来ない謎の放射(宇宙背景放射:絶対温度3K)があり、それは四季を問わず全方向から来ている。」
「放射」とはエネルギー発散のことで、一般的に温度で表現されます。電波天文研究の一環として、ウイルソンらは「天の川電波地図の作成」に取り組みました。天空で最も明るい星の明るさを測定し、次いで天空の0を算出することで明るさの基準を作り、天空全体の絶対測定に挑戦しました。ところが、電波の実測値は常に理論値を3K上回り、天空に0の点を見つけることが出来ませんでした。謎の3Kは1年に渡り彼らを苦しめましたが、共同研究者のベンジアスがプリンストン大のディッケに相談したことで氷解しました。ディッケのビッグバン理論によれば、宇宙は大昔に無限に圧縮され超高密度の物質が大爆発を起こし、その勢いで今なお膨張を続け、宇宙の果てに見える銀河のスピードは光速近くになっています。火の玉状となって爆発した宇宙創成期の名残として宇宙の果てから熱の放射があり、「宇宙は最低でも10Kの背景放射で満たされている」と予言されていました。ウイルソンらは予言された「放射」を発見したことにより、1978年ノーベル物理学賞を授与されました4)。電波地図からビッグバンへと認識を変えた瞬間、ノイズと思われたバックグラウンドに科学的価値が見出されたのです。
ありふれた土地、白下地、0にならないノイズと言えばそれまでですが、殷墟・雪見立て・背景放射という人知れず埋もれていた宝を教えてくれた先人達に感謝するばかりである。
1)夏王朝 王権誕生の考古学 岡村秀則 (2003年12月講談社)
2)特別展「誕生!中国文明」図録 (2010年7月 東京国立博物館)
3)特別展「丸山応挙展」図録 (2004年2月 大阪市立美術館)
4)独創の軌跡:現代科学者伝、日本経済新聞