奇跡の動物園として知られている公立の施設が北海道にある。今から半世紀ほど前に開園し、当初は50万人近くの入園者を集めた。だが物珍しさが無くなると次第に客足が落ち込み、寄生虫による閉園以来、敬遠されるようになる。バブルが弾けた後、史上最低の年間26万人にまで減ってしまう。採算が悪化すれば税金を投入すればいいのだが、市民の理解を得られなければ廃園の危機に立たされる。その動物園が2004年7月と8月、月間入園者数ランキングで2ヶ月連続日本一となる快挙を成し遂げた。パンダのような絶対的スターは居らず、不便で、周辺人口は少なく、そして積雪による冬季閉園と不利な点ばかりなのに、一時的とは言え頂点に立った事実が奇跡と呼ばれる所以である。そのV字回復の理由をネットで探っていると、たまたま事前予約の体験プログラムを見つけた。毎回好評ですぐに定員に達して締め切られるとの事だったので、「エゾシカの角(正確なタイトルは不明、図1)」に即申し込んだ。幸い参加が認められたので、早速、北海道への飛行機・宿泊等を手配した。
当日、エゾシカのゾーンに行くと30人程の親子が集まっており大人一人での参加は私だけだった。飼育員のお兄さんがエゾシカの事を色々と説明してくれ、今回は角を切り取ってキーホルダーを作ろうという体験だった(図2)。どの部分が自分に割り当てて貰えるのかは重要な点で、一本に3か所しか取れない角の尖った箇所は最も人気があり、希望者間でジャンケンすることとなった。ちびっこ達に混じって、一人だけオジサンも加わり争うことにした。保護者からは「大の大人が子供相手に・・・・」と顰蹙を買ったと思うが、敢えて人目は気にしない事にした。真剣勝負の末、子供に負けてしまい、相手は大はしゃぎしていた。私は何事も無かったかのように黙って角の胴体部分を受け取り、飼育員の指示通り淡々とドリルで穴を開けて、キーホルダーを仕立てた(図3)。
北海道で3番目にオープンしたこの動物園は、最初の入場者数停滞の時、打開策として遊園地を併設し一時的に客足を取り戻すことに成功したが、暫くすると飽きられてしまい入園者は漸減してゆく。新たに遊具を導入すると集客アップに貢献してくれるが、集客力を維持するためには新規の遊具を導入しなければならなくなる。その一方で、動物園の施設の老朽化は進み、動物はいつも眠ってばかりで入園者にとっては全く魅力が無くなってしまっていた。入園者減→収入減→施設老朽化→魅力低下→入園者減という負のスパイラルに陥っていた。寄生虫による一時閉園が決定的ダメージを受け存亡の危機に立たされた時、動物園は“行動展示”という勝負手に出る。「動物のありのままの姿を見せる」という手法は他の動物園ではまだ行われておらず、恐らくこれで失敗したら閉園も止むを得ないという覚悟の下で挑戦されたのだと思われる。
改革は小動物に触れ合うことができる『こども牧場』から始まり、限られた予算で猛獣・猿・ペンギン・オランウータン、北極熊の動物舎に改修が加えられた。予算を抑えるために園内の最新情報を看板の代わりに手書きで紹介すると、その手作り感が人間味溢れていると好意的に受け取られた。また動物の解説についても、単に書物に記載されている一般的内容ばかりでなく、直接動物の飼育に携わる係員自身の言葉による「ワンポイントガイド」は、自ら担当しているだけあって動物の日常の姿が来園者にリアルに伝わり好評を博した(図4)。「夜の動物園」では夜の生態が垣間見ることができ夏の風物詩に、「ペンギンの散歩」は冬の風物詩となっている。これら動物の生態に合わせたイベントの一環として、『あざらし館』がオープンした。通路の途中に設けられた透明な管の中を足元から天井に向って、またその逆向きにアザラシがゆっくり移動する姿は「普段見ることのできない野性的な一面を垣間見ることができる」と熱心なファンが現れるようになった。マスメディアが大々的に記事として取り上げると、これが起爆剤となり月間入園者数日本一となった年に年間入園者数が初めて100万人を超えた。そして開園40周年には307万人に達し、日本一の入場者数を誇る動物園の350万人に肉薄することとなる。
他園を真似て入園者増に繋がると思われた企画をした結果、存亡の危機にまで追い詰められた。むしろ、客寄せに直結するとは思われず他の園でも実施されていなかった「生き生きとした動物の姿を見せる」という理念こそ、実は来園者が動物園に求めていた事だと腑に落ちる。特別なスターに頼ったわけでは無く、職員・飼育員達が希望を失わず、自身の出来る事から行動展示の実現を図り、全員で積み重ねた地道な努力が奇跡に繋がったのであろう。この成功以降、他園でも行動展示が取り入れられている現状がその証左となっている。