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2012年11月14日

播磨の先人に学ぶ研究会(第4回)開催(報告)[播磨総合研究所・播磨会]

 10月20日(土)、近畿医療福祉大学教授の足立泰紀先生を講師にお迎えし、「柳田國男と播磨」というテーマでお話を伺いました。当日は、柳田國男の人脈や松岡・柳田・三木・国府寺・奥山家の系譜や相関、長州閥との関係のほか、柳田学について次のように述べられました。

柳田國男は、新体詩人・農政学者・高級官僚・ジャーナリスト・日本民俗学の創始者といったようにさまざまな側面を持ち、その生涯に膨大な著作を著した。戦後、柳田に対しては「在村地主イデオロギー」、「民間学」、「一国民俗学」、「明治国家の全体系に対する批判者」などと、多様な評価が下されてきた。なぜ、柳田論はかくも膨大なのか?それは柳田自身の複雑さと、多様な読み手によって解読が行われてきたからであろう。
柳田学は3段階の変遷をたどっている。明治30年代の初期柳田は、新体詩人で農政論を著した。明治40年代から大正末までの前期柳田は、漂流民や山人を研究対象とし、まだ民俗学以前の段階であった。昭和初期以降の後期柳田は、民俗学の体系化に取り組み、稲作農耕民や「常民」、祖霊信仰を研究した。
『郷土生活の研究方法』によれば、民俗学の究極の目的は、衣服や食物など目に映ずる資料「有形文化」や、昔話や伝説など耳に聞こえる言語資料「言語芸術」の解明にとどまらず、人々は何を目的として何を思い暮らしてきたかという「心意現象」を解明することにある。民族学が外から観るヘテロジカルな方法であるのに対し、民俗学は内から観るホモロジカルな方法をとる。民俗学は、「郷土人自身の自己内部省察」であり、人々が「心づく」ことによる「学問救世」をめざした。その意味で、柳田は我々が世界とどう向き合っていくのかという問題を考える上で、ジャンプ台としての役割を果たしていくのではないか。ここに民俗学の可能性がある。

(文責:大塚健洋)