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2013年09月10日

播磨学Ⅰ(第7回)「考古学から見た姫路の歴史」を開催しました。[教務課・地域連携課]

5月31日(金)、姫路市埋蔵文化財センター技術主任の中川猛氏を講師にお迎えし、「考古学から見た姫路の歴史」というテーマでお話しいただきました。概要は以下の通りです。

考古学とは、過去の人類が残したものを研究する学問である。遺跡とは村の跡や寺の跡など昔の人が残した生活の跡すべてをいい、そのうち、家・井戸・溝など地面に掘られたりして動かせないものが遺構、土器や石器など動かせるものが遺物である。

発掘調査の流れは、機械、次いでスコップで掘り、遺構を発見すると、さらに掘り下げ、記録を作成し、写真撮影を行い、土器などを洗って終わる。

地層は積木と同じで、上の方が下の方よりも時代があたらしい。地層の観察で品物の見つかる順番がわかったら、その形が変わっていく様子を観察すると、作られた順番を知ることができる。発掘によって何がわかるかというと、たとえば、播磨国分寺跡では、寺の塀の瓦が崩れたまま見つかったが、瓦の無いところが塀の部分であることがわかる。また、打越山古墳では、墓の中から勾玉が並んだ状態で見つかり、被葬者が身につけていた様子が想像できる。

姫路駅前のピオレの地下には、奈良時代の工房の建物跡や6m幅の道路跡が見つかった。それから判断すると、播磨国府はこれまで考えられていたよりも広いのではないか。

(文責:大塚健洋)