10月9日(木)、「播磨の黒田武士顕彰会」事務局長の山下博文氏を講師にお迎えし、「智将黒田官兵衛とその時代:秀吉の天下統一を支え、秀吉から最も恐れられた男」というテーマでお話しいただきました。
播磨の黒田武士顕彰会は、播磨生まれの戦国武将黒田官兵衛・長政父子とその家臣たちを広く検証するために発足しました。官兵衛・長政に従う有名な24騎も大半が播磨生まれで、その中には「黒田節」で名高い母里太兵衛をはじめ後藤又兵衛らの猛将もいます。彼らをふるさとの播磨で見直そうというのが顕彰会の目的です。姫路獨協大学とは、これまでお城まつりの歴史パレードや「はりま歴史講座」の開催などで、緊密な協力関係を築き上げてきました。講演要旨は、以下の通りです。
黒田孝高(後の官兵衛)は、信長、秀吉、家康に遅れて出たスーパーヒーローです。彼は織田と毛利の勢力がぶつかる播磨の地にあって、荒木村重に幽閉されるなどの苦難を乗り越え、終始、織田方について戦いました。本能寺の変で信長が討たれると、秀吉に中国大返しを進言し、軍師として天下統一を支えました。しかし、主君の秀吉は官兵衛の才能を恐れ、豊前国中津に遠ざけられました。関ヶ原の戦いの直前、官兵衛は九州平定に乗り出し天下を狙いますが、家康の勝利によって幻となります。関ヶ原の戦いの論功行賞で長政は筑前52万石を与えられ、黒田藩の初代藩主となりました。一方、官兵衛は黒田藩の藩祖として尊敬を集めています。
(文責:講座担当者 大塚健洋)