ちょっとお洒落なミュージアムカード、大概の美術館は紙で済ませているが、
このミュージアムはちょっと贅沢にしてくれている。
最近発行されているカードには花があしらわれているが、
私が入会した初年度はメソポタミアのラマッス(人頭有翼獣:顔は人で翼をもち獅子や雄牛の体をしている)が描かれていた。
会員番号は1に違いないと思い込んでいたので、2番目のカードを渡されガッカリしたのを覚えている。
塩野義製薬時代、滋賀の油日に単身赴任していた私は、週末に美術館・博物館に寄って帰阪するのが密かな楽しみだった。
小さな施設にも寄っているのを知った後輩が教えてくれたのが、1997年11月に信楽で開館したミホミュージアムだった。
当時、車にはナビはついておらず看板を頼りに信楽に向かった。最初の看板から次の看板まで距離があり、
また普段は走らず対向車も少ない山道だったので迷ったのではないかと不安に思いながら運転していた。
ようやく駐車場に辿り着いてほっとしたのも束の間、閑散として人気は無かった。特に期待もせずに入館したのは、
美術館ではなくレセプション棟だった。当日券を買うと出口の所で電動バスが待ってくれていたので、乗せてもらうことにした。
晩秋の山肌の空気は冷たかったが、運転士が降りて風よけの透明シートで客席を覆ってくれ、その気遣いが温かかった。
ゆっくりと坂を上がるとトンネルが見え、くぐると橋があり、その向こうに美術館が見えた。ようやく美術館に入ると、
入り口ロビーから見える景色に思わず見とれてしまった。
眺めだけでなく、エジプト・中国・メソポタミア・インダス文明の流れを汲む収蔵品も素晴らしかった。
まさか信楽の山奥で出会えるとは思っておらず、予想が裏切られたことにむしろ心地良さを感じた。
夢中になって観賞しカフェで余韻に浸り、初めてにもかかわらず忘れることのできない至福を感じた。
帰りの電動バスも私専用となったので、運転士に「今は来る人は少ないかもしれませんが、
近いうちに必ず大勢のお客さんが来るようになりますよ」と半分慰め半分励ました、
まさかその言葉が数か月後には現実になろうとは思いもしなかったが。
レセプション棟に戻った私は、この美術館が気に入ったので友の会に入会した。
その時に渡されたのが冒頭の会員証である。
TIME誌による1997年のデザイン部門ベストテンに選ばれる
ミホミュージアムは2位で、1位はグッゲンハイム美術館(スペイン、ビルバオ)
その影響は大きく、まず海外で知名度が高まり、それを追うように国内でも日曜美術館等の専門番組に取り上げられるようになった。
英語・北京語・広東語を話すスタッフが常駐し、海外からの来館者にも対応している。
また、Shangri-La(桃源郷)と名付けられた会員通信誌の海外版も用意されている。
4月なら桜の開花と相まって、ステンレス製のトンネルに薄紅色が映え、夢幻の世界が現れる。
この桜の時期には、国内外から1日に2千人が訪れるほどの人気のミュージアムとなっている。
人はなぜミュージアムに行くのだろう?百人百様だと思うが、非日常を味わいたいというのも理由の一つだろう。
ミホミュージアムは他の美術館と一線を画し、不便な立地を逆手に取っている。
常識的には人の集まる駅近が便利であるが、まるで来館者を選ぶかのように敢えて人気のない山腹に建てられている。
しかしながら、収蔵品や館ばかりでなく、それらを含むエリア全体に惹きつけて止まない魅力がある。
利便性に勝る価値を見出した者だけが訪れれば良い、そうミュージアムが言っているかのようだ。
歩いてみて初めて気付いたのだが、トンネルは緩やかに曲がっており、その入口と出口は同時に見ることが出来ない。
入り口が見えなくなると、プロムナードまでの現実世界を脱ぎ捨てたような気分になる。
と同時に、異世界を予感させる出口へと誘われる。
出口が近づくにつれ視界が一点に絞られ釘付けとなり、山と一体となった美術館が現れる。
高揚を抑えつつその懐に飛び込む。館に優しく包まれると、余りの心地よさに離れ難くなる。
ずっとそこに居たい、居たいのだが許されるはずもなく、美術館を後にしなければならない時がくる。
時々振り返ってはさっきまでいた館を見納めながら、トンネルに入ってゆく。人里離れた桃谷と呼ばれる地に、
またこの桃源郷に迷い込んでみたい、そんな思いを残して。
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