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薬学部コラム

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第32回

中国留学時代のあれこれと今思っていること

臨床薬効評価学研究室 天野 学 准教授


 中国留学から帰国して18年が経ちました。その後中国へ行く機会はなく、現在テレビなどで得られる情報や旅行に行ってきた人の話からすると、当時とは隔世の差がありそうです。記憶をたどって当時の留学体験と今思っていることを思いつくままに書かせていただきます。

 私は、上海中医学院に1992年の4月から3ヶ月間、中国の漢方である中医学の勉強をするために留学しました。当時の私は、日本の漢方を勉強しながら、漢方専門薬局に勤務し5年が経過しようというところでした。そのころは漢方について知識がつき始めた頃であったのですが、同時に漢方の大家といわれる先生の著書や勉強会で示される知識の矛盾に頭を悩ませる時期でもありました。そんな時、親しくしていた漢方の先生が勉強会で中国留学について触れられたことがきっかけとなって、中国留学を思いつきました。その後いろいろ考えた末、家族もいたのですが、当時は漢方を一生の仕事にしようと考えており、知識を整理するいい機会になるとの思いから留学を決断しました。

 留学1ヶ月目は、午前に中薬学、午後に中医学理論の授業がありました。中医学理論とは、現在の中国で教育される漢方理論で、数千年の伝統医学理論をまとめた学問です。中薬学とは中医学理論により解釈される生薬薬物学です。両方の授業とも講師が日本へ留学した経験があり、授業はほとんど日本語で講義が行われましたが、表現内容が難しくなると筆談になることもありました。この時期に漢方に対する知識が整理され、生薬に対する知識も深まったと思います。

 2ヶ月目からは、診断学の授業がありました。この授業では中医学理論に基づいた診断学を学習しました。授業は中国語で行われ、通訳が付いて逐次解説が行われるというスタイルで、午前は大学で講義を受け、午後は大学附属病院内科で診断実習を受けました。

 最後の1ヶ月間は午前午後とも大学の別の附属病院で、傷骨科(整形外科)、婦人科、耳鼻科、眼科、薬局の診断実習を受けました。

 当時中国の大学では、留学生と中国国内の学生は寮や食堂が分けられており、中国人は職員などを除いて留学生用の寮や食堂には出入りできないようになっていました(どのくらい厳格なルールであったかはわかりませんが)。寮では台湾や中国系マレーシア移民などの中国系の人たち以外にもアメリカやイギリス、ドイツなどの欧米諸国、アフリカ各国、韓国、日本など様々な国の人が住んでいましたが、行動は言語、宗教、肌の色でグループができていました。私は日本人とも仲がよかったのですが、中国系マレーシア人たちとも仲がよく、よく夕飯を寮で食べさせてもらいました。ただでごちそうしてもらうのは悪いのでお金を払おうとしたのですが一度も受け取ってもらえず、帰国時に日本から持ち込んだ新旧取り混ぜた日用品を受け取ってもらいました。

 通貨は、中国人民用の人民元と外国人用のFEC(Foreign Exchange Certificate)という兌換元*の2種があり、外国人はFECを使わなければいけないことになっていました。しかし、FECで払っても、ホテルなど以外ではおつりが人民元で返ってきますし、外国人でも市中の店では大体人民元が使えるなどかなり適当になっていました。

城崎風景中国留学時代に大学から連れて行ったもらった旅行の最中の写真です。体形はあまり変わっていませんが、髪の毛の量は??

 医療の話をすると、当時の中国では医者の社会的地位は他の社会主義国家の多くと同じように低いようでした。特に中医(中医学の医師)は西洋医(現代医学の医師)よりも低く、"イサン(医生)!”とよく患者から怒鳴られていました。しかし、現在では生活の質が上がることによって、命や健康の重要さが認識され、社会的な地位は上がっているかもしれません。

 最後に、薬剤師の将来につながるかもしれない話をします。当時中国では中薬師(中医学の薬剤師)も処方せんを書いていました。それを見た時、私は薬剤師が処方せんを書くなんておかしいと思いました。何か、人手不足を補うための無理矢理感のようなものを感じたのです。でも、最近その考えは私の中で変わりました。薬学教育が6年制になり、医師不足の現在、私は日本の薬剤師も処方せんが書けるよう制度改正をしてもよいのではないかと思います。そうなるには、薬剤師の臨床活動におけるレベルを上げ、専門の教育やテクニカルなトレーニングを行える環境を作る必要があります。現在私は、漢方を専門とする薬剤師でなくなり、薬剤師を育てる身になりました。そのような私がしなければならないのは薬剤師の職能を広げるお手伝いをし、間接的に医療に貢献することだと思っています。

兌換元(だかんげん):中華人民共和国政府が外貨を管理するために1979年に導入し、1995年に廃止された紙幣(外貨兌換券)。外国為替専門銀行であった中国銀行が発行し、外国人が観光や商用で外貨を両替すると渡された。(Wikipedia)  


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