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薬学部コラム

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第3回

『ゾウの足跡』

医療経済学研究室 柳澤 振一郎 教授


みなさんは子供のころ、動物園の中でどの動物が好きでしたか?若い人であれば、パンダとかコアラといった名前が出てくると思いますが、私が子供のころの人気者は、なんといっても「ゾウさん」でした。ゾウは、童謡にも歌われているように、何かほのぼのとした印象があり、体は大きいけれど、言葉では言えないかわいらしい魅力があります。

そのゾウが、太古の昔には、私の村周辺にも居たのです。私の実家は長野県の千曲川沿いの一寒村にあります。その私の実家付近での出来事です。昨年の大雨による大水で千曲川の河床の土が流されることにより、今まで隠れていた地層が表面に現れ、そこから多くのゾウの足跡化石(生痕)が発見されました。このニュースを聞いてから、帰省の際には是非見てみたいと思っておりましたが、今年の夏休みに実際に見ることができました。

ゾウの足跡化石(生痕)1  ゾウの足跡化石(生痕)2  ゾウの足跡化石(生痕)3

発見されたゾウの足跡化石は、150万年から130万年くらい前のアケボノゾウ(学名:ステゴドン・アウロラエ)のものであると推測されています。このことは、この周辺の同年代の地層でアケボノゾウの下あごの化石や牙などがすでに発見されている事と、足印口の大きさが30~40cmと大型であり、その形が短い指印を持つ楕円形もしくは円形である事によります。足跡は確かに大きいものは40cm近くありましたが、子供の足跡と思われる小さいものもあり、推測としてはおよそ30頭位の群れが歩いた時のものと考えられています。アケボノゾウは日本で独自の進化を果たした小型のゾウで、約250万年から100万年位前の日本各地で生息していたようです。そのころの日本は、すみかとなる森林も多く、まさにゾウの楽園であり、私の村の近辺には数多くの群れが生息していたと推測されています。その頃、私が居たら、ターザンのようにゾウに乗っていたかもしれません。

今では、アフリカゾウとアジアゾウの2種類のみが熱帯の地域に存在しているのですが、この2種類はアケボノゾウより新しい系統のマンモスゾウやナウマンゾウの仲間で「ゾウ亜科」というグループだそうです。アケボノゾウは学名が示すとおり、「ステゴドン科」のグループに属します。ステゴドン科のゾウは、約2000万年前から南アジアから東アジアを中心に栄えたようですが、絶滅してしまいました。アケボノゾウ絶滅の原因はよくわかっていませんが、ゾウの化石と一緒に出てくる植物の化石などから、環境の変化にあるのではないかと推測されています。

ところで最近、異常気象のニュースが多いと思いませんか。異常気象の原因のひとつは地球温暖化にあると言われています。現在の地球温暖化は、その原因としては人為的な部分が大きいと考えられていますが、まさに地球規模の環境の変化ではないでしょうか。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発行した第4次評価報告書によると、仮定するシナリオの違いによって予測値も異なりますが、2100年までに平均気温が、1.8から6.4℃上昇すると予測されています。この予測が信頼できるとするならば、温暖化に対し何の対策も取らないでいると、やがて日本からは四季がなくなり、さらに亜熱帯、熱帯へと変化し、現存しているアフリカゾウやアジアゾウが生息できる地域になる可能性もありうると言うことです。

本年度は、地球温暖化防止を目的として採択された「京都議定書」のなかで、地球温暖化の原因と考えられている温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、フロンなど)の排出を削減すると国際的に約束した第1約束期間(5年間)の初年度です。日本は1990年の排出水準のマイナス6%を達成する約束となっています。排出量を1990年の水準に戻した上に、さらにマイナス6%ですから、国としては相当難しい目標ではあると思います。我々個人としては、「小さなところからコツコツと」、排出量削減に努力するしかありません。日本がゾウの楽園であったのは130万年前までで「良し」としましょう。
ちなみに私は、研究室の冷房の設定温度を昨年より1℃だけ上げてみました。

資料:長野県北御牧村産アケボノゾウ化石調査報告書.北御牧村アケボノゾウ発掘調査団編集,北御牧村教育委員会,2003.

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