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薬学部コラム

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第34回

ストリキニーネの話

有機化学研究室 村重 諒 助教


 先日、ある刑事ドラマを観ておりましたら、主役の刑事の部下であるデコ刑事が、猛毒のストリキニーネの粉末がたっぷりと入ったビンのにおいをクンクン嗅ぎ、挙げ句、ハックション!!・・・という背筋の凍るようなシーンがありました。(あくまでフィクションですが・・・)
 このストリキニーネという名前の猛毒は、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンといった古典派ミステリーが好きな方には馴染みがあるかと思います。同様にその特異な構造から、有機合成化学者の興味を惹き付けてやまない化合物でもあります。そんなかつて知られる中で、最も小さく、最も複雑な化合物 (for its molecular size it is the most complex substance known)と呼ばれたストリキニーネの歴史から最近の研究までを紹介してみたいと思います。

 ストリキニーネはインドや東南アジアからオーストラリア北部にかけて分布するフジウツギ科マチン(学名:Strychnos nux-vomica)の果実の種子(図1)より得られ、脊髄における反射経路のシナプス後抑制機構を選択的に遮断します。ヒトに対する致死量は 1mg/kg(青酸カリの5倍の毒性)であり、仮に摂取してしまうと、最悪の場合、呼吸麻痺により死に至ります。かの地域では古くからマチンの種子をすり潰したものを、狩りにおける矢毒として使用しており、1521年には世界一周を目指し航海中であったマゼランが、マクタン島(現在のフィリピン)で島民の放った毒矢によって絶命したとの記録が残っています。

図1.マチンの果実
図1.マチンの果実

 そんなストリキニーネは、1818年、PelletierとCaventouという2名の薬学者によって世界で初めて単離され1)、それから20年後の1838年、Regnaultによってその元素組成が明らかにされました2)。そして110年後の1948年、Robert B. Woodward教授によってその構造が明らかとなり3)、1956年、Peerdemanによってその絶対立体配置が決定され4)、遂にその全貌が判明しました(図2、3)。分子量は334と比較的小さめながら、6個の構成炭素のうち5個が不斉中心であるシクロヘキサン環を中心に7つの環がコンパクトに絡まり合った大変複雑な骨格を有します。元素組成が明らかとなってから構造決定に至るまでにおよそ100年の月日を要した理由がここにあります。

図2.ストリキニーネ(構造式) 図3.ストリキニーネ(3Dモデル)
図2.ストリキニーネ(構造式) 図3.ストリキニーネ(3Dモデル)
 

 さて、このような複雑な骨格を有するストリキニーネを世界で初めて化学的に合成したのが・・・、実は前述のWoodward教授だったのです。構造決定からわずか6年後の1954年のことでした5)。当時の実験設備や分析技術等を鑑みるに、信じ難いような大偉業であり、Woodward教授が20世紀最大の有機化学者と呼ばれる所以となった金字塔の1つです。我が国では2004年、東京大学薬学部薬学系研究科の福山透教授の研究グループによってその全合成が達成されています6)。その他、10数例の合成報告がなされていますが、その特異な構造を作り出すのに最低でも10数工程を要していました。ところが2011年、California大学 Irvine校のD. Vanderwalらの研究グループが、何と!ストリキニーネをトリプタミン誘導体(2)から、わずか6工程で合成したとの研究論文を発表しました7)(図4)。

図4.D. Vanderwalらのストリキニーネ合成経路
図4.D. Vanderwalらのストリキニーネ合成経路

 反応スキームだけを見ると、いとも簡単に合成できるように思えますが、その裏側には幾多の試練に血の滲むような努力で立ち向かった多くのスタッフがいます。また単離からおよそ200年の月日の中で偉大な先人達によって積み重ねられた様々な知見が根底にあり、近代科学技術の進歩もまた一翼を担っています。

   このようにストリキニーネは太古の昔よりその性質が知られていながら、2011年の今でも研究が続いています。勿論、このような化合物はストリキニーネだけではありません。他にも調べてみると面白い歴史やエピソードを持つ化合物はたくさんあります。皆さんの身の回りにある化合物(医薬品や化粧品など)も同様です。一度、それらの歴史に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。


参考文献

1) Pelletier, P. J.; Caventou, J. B. Ann. Chim. Phys . 1818, 8, 323.
2) Regnault, V. Ann . 1838, 26 , 17, 35.
3) Woodward, R. B.; Brehm, W. J. J. Am. Chem. Soc . 1948, 70 , 2107-2115.
4) Peerdeman, A. F. Acta Crystallogr . 1956, 9 , 824.
5) Woodward, R. B.; Cava, M. P.; Ollis, W. D.; Hunger, A.; Daeniker, H. U.;
  Schenker, K. J. Am. Chem. Soc . 1954, 76 , 4749-4751.
6) Kaburagi, H.; Tokuyama, H.; Fukuyama, T. J. Am. Chem. Soc . 2004, 126, 10246-10247.
7) Martin, D. B. C.; Vanderwal, C. D. Chem. Sci ., 2011, 2, 649-651.

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