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薬学部コラム

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第15回

香りを科学する

生物有機化学講座 山中 理央 助教

米国生活で出会った香り:
 私は、姫路獨協大学に赴任する以前は米国のロサンゼルスにて研究生活をしていました。米国生活では、様々な日本との違いに出会いました。米国のスーパーマーケットで感じたのは、日本に比べて多種多様な強い香りが加えられた商品が多いという事でした。日本人である私には珍しいものばかりで興味をそそられました。日本では、どちらかというと無臭が好まれ、スーパーマーケットに行くと無臭や微臭を強調した商品が多いように思います。さらに、日本と米国では嫌なにおいへの対処法が異なることに気がつきました。米国では、よい香りを加える(足す:加臭)ことにより嫌なにおいを打ち消しますが、日本では嫌なにおいそのものを消す(引く:脱臭)のです。これは、西洋と東洋の考え方の違いと受け取る事もできるのかもしれません。ドイツのある排水処理場では、花の香りを加えて悪臭の苦情を無くそうとしているそうです。 初めは、私も日本よりも気軽に様々な香りを試すことができるという点を大いに楽しんでいました。しかし、そういった人工的な香りには飽きがくるものです。


香りの科学的特徴:
山名先生コラム  においの感覚、すなわち嗅覚は、化学物質が受容器を刺激することによって感知されることから、Chemical senseと呼ばれています。従って、刺激物質の化学構造とそれがもたらす感覚にはなんらかの関係があると予想されます。香りについて、構造活性相関という化学的な面から考えてみます。様々な構造の影響が考えられますが、中でも嗅覚の受容体は光学活性であると考えられるので、有香分子の光学活性とにおいの関係は特に興味深いです。例えば、カルボンについては、光学異性体間のにおいの差は大きく、(S)体はキャラウェイの香りがするのに対し、(R)体はスペアミントの香りがします。においの感覚を起こすためのにおい物質の最少量を嗅覚の閾値といいますが、カルボンの閾値は(R)体の方が低く、強い香りであることになります。 また、嗅覚について生理学的面から考えると、その特性として、疲労しやすさと個人差があげられます。どんなによい香りも、しばらく嗅いでいるとにおいがしなくなります。嗅覚は非常に疲れやすいことが知られています。また、嗅覚の個人差はかなり大きいといわれています。色についての色盲や色弱があるように、においについても嗅盲や嗅弱が見いだされているそうです。 香り分子の化学構造からある程度嗅覚作用が予想されるとはいっても、その機構は複雑であり、感受性はすぐに変化もすれば個人差もあります。すなわち、香りとは非常にあいまいなものであるともいえるのです。


日本人独特な感受性と道:
山中先生コラム2  私が米国で生活していた際に感じたように、日本人と米国人とでは香りに対する感受性が大きく異なっているようです。あらゆる環境の異なる日本と米国では至極当然のことと言えると思います。しかし、私は米国の中にあって日本的な感覚を今でも保っている人々に出会いました。第二次大戦以前に米国に移住した日系のファミリーです。離れていると改めて祖国について考えてみるものです。私もその例外ではなく、異なる環境で、より日本について考え、日本文化に興味を持つようになり、茶道と華道を83歳の日系米国人に習っていました。ここには日本の失われた時代の感覚が残っていました。米国人として生きていても、よい日本の文化や習慣が尊重されていたのです。日本という国は、あらゆることを『道』にするこ とで洗練された教養文化に高め、伝統を継承しているのです。この『道』は禅に結びついていることが多く、精神性が重視されています。実は、香りと宗教は密接に関わっており、仏教はもとより、世界のどの宗教においても悪魔払いの儀式には香りが欠かせないものとなっています。その中で、日本だけが他国には類のない独特な『香道』を確立しました。日本人は体臭のきわめて薄い人種でありますから、香をからだにふりかけるという風習は一般的ではありませんでした。しかし、衣類に香を焚き込めたり、室内に香を焚いて客をもてなすという繊細な文化が発達したようです。日本書記によると、推古天皇三年(595年)に淡路島に香木が漂着したのが始まりだそうです。香道には、茶道と同様に香りを焚くお点前があります。そして、香道に用いられる香木は、完璧に天然の素材であり、二度と同じものが存在しないそうです。また、香木を焚くという行為は、純粋な芳香成分を抽出することを知らなかったためにされたことであり、そのために不純物もあるがままに受け入れ、おおらかに全体のあいまいさを謳歌することにもなったようです。それに対して、近年流行しているアロマテラピーでは、花や木などから抽出した精油を用います。つまり、天然香木をそのまま用いる香道は、アロマテラピーとは異なり自然全体を受け入れ、その調和を目指しているともいえるように思います。


愛すべき自然の香り:
 近代に入り、世界的な技術の発展により、多くの自然が破壊されています。本来あるべき自然の香りが失われつつあるように思います。よいにおいを嗅ぐと思わず深く息を吸い、悪いにおいを嗅ぐと反射的に息を止めたり息を抑えてかすかに呼吸したり、不規則にして悪臭を嗅ぐまいとするようです。しかし、悪臭であっても我々の嗅覚はすぐに疲労して、麻痺しそれを感じなくなってしまいます。大気汚染による公害など、世界の技術発展に伴い生じた人工的な悪臭も、初めは不快なにおいであると思ったはずです。しかし、時が経つにつれ、悪臭に満ちた環境にも慣れて平気になってきているかもしれません。 日本には、古くから自然の香りを慈しむ習慣がありました。森にも川にも自然の豊かなやわらかい香りがあります。グローバル化が進んでいるといわれ始めて久しいですが、繊細な香りを大切に楽しむという日本人独特の尊重すべき感覚があります。異国の地に住んでいても自らのルーツから得た感覚は失うことはありません。世界の中の日本として、良き感覚を活かし世界の人々と自然と調和に貢献していきたいものです。研究に携わる者としては、新しい製品の生産(足す)の追求だけでなく、日本的ミニマム(引く)の追求をしていくのも必要かもしれません。研究も、大きな発展の中の一つの部分として考えて行きたいと思います。

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