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山下 諒
山下 諒
山下 諒

13

Interview

元世界2位ヨーヨー競技者

山下 諒さん

社会人1年目で挫折した僕を、

ヨーヨーが救ってくれた

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Interview

元世界2位ヨーヨー競技者

山下 諒さん

社会人1年目で挫折した僕を、

ヨーヨーが救ってくれた

プロフィール

1992年7月、兵庫県明石市生まれ。2015年、姫路獨協大学医療保健学部こども保健学科卒。保育士資格と幼稚園教諭免許、養護教諭免許を持つ。保育士などを経て、兵庫県内の障がい者総合支援センター勤務。高校、大学時代にヨーヨーの大会で全国優勝や世界2位の成績を残す。2018年からヨーヨーメーカー「C3yoyodesign」のオフィシャルチームに所属。ヨーヨー教室を開催するなど、地域スポーツクラブの活動にも力を入れる。

ヨーヨーを始めたきっかけと、その後の活動について教えてください。

小学6年生の時にヨーヨーの世界チャンピオンのパフォーマンスを生で見て、衝撃を受けたのがきっかけです。世界チャンピオンは日本人の中学生だったのですが、両手でヨーヨーを操り、アクロバティックな技を披露していました。かっこよさに感動し、その場で両親にヨーヨーを買ってもらったことをよく覚えています。そうして私のヨーヨー人生が始まりました。
今ならYouTubeなどでヨーヨーの技や解説を見られますが、当時はまだありません。ヨーヨーの上手な人が開く練習会に参加し、技を目に焼き付けて自宅で特訓しました。
練習すればするほど上達して、周りからたたえられるのがすごく楽しかったんです。友だちの前や文化祭などで披露し、学校では「ヨーヨーの人」として有名でした。
ヨーヨーの大会にも出場し、中学生で西日本3位、高校3年で世界2位まで行き、「チャンピオンになりたい」という気持ちが強くなりました。そうなると、もうやめられませんよね。大学1年の時に全国大会で優勝しましたが、その時に日本代表として出場した世界大会は3位でした。なかなか世界チャンピオンにはなれません。それから世界チャンピオンが目標になりました。

ヨーヨーの大会はどのように行われるのですか?

3分間、自分の好きな曲に合わせてさまざまな技を披露します。いかに難しい技を成功させるかという技術点と、パフォーマンスとしての芸術点の合計点を競います。全国で地区大会が開かれ、全国大会、世界大会と進んでいきます。
大会は緊張感がものすごくて苦しいのですが、全国大会で優勝した時の喜びは忘れられません。表彰式で盾を受け取り、みんなが拍手をしてくれた。その経験があるから今も頑張れます。もう一度、味わいたいですね。

山下諒さんインタビュー画像1

過去に何度かヨーヨーのブームがありましたが、技は進化しているのでしょうか。

私がまだ幼かった1998年ごろに大きなブームがあり、次のブームが2004年に来て、私はヨーヨーを始めました。その次のブームは私が全国優勝した2011年ごろです。
技の難易度はどんどん高くなっています。今はYouTubeで技を見ながら練習や研究ができるので、進化の速度が速くなっているんです。
ヨーヨー自体も高性能になっていて、ヨーヨーをそのままの位置で回していられる時間は以前は5秒ほどだったのが、今は20秒くらいに延びました。その間に、腕にひもを絡めるなどのいろいろな技ができます。

「ヨーヨーパフォーマー」としても活動していますね。

ヨーヨーの楽しさを知ってもらうために、イベントや体験会でパフォーマンスをしています。お祭りでヨーヨーコーナーを設置して、ヨーヨーの指導をすることもあります。日本ヨーヨー連盟のデモンストレーターも務めていて、メディアにも出ます。ヨーヨーは、競技者とパフォーマーの二つを軸に活動していることになります。
中学2年生の時に、小学校で子どもたちにヨーヨーを教えるヨーヨー教室を立ち上げたのですが、まずはヨーヨーを知ってもらおうと小学校でパフォーマンスをしました。パフォーマーとしての活動はそれが最初です。

山下諒さんインタビュー画像2

中学生がヨーヨー教室を開くなんてすごいですね。なぜ始めたのですか。

最初は独りで黙々と練習をするのも楽しかったんですが、やっぱり仲間がほしかったんです。小学校の恩師に「ヨーヨー教室を開いてみないか」と声をかけてもらい、母にも手伝ってもらいながら始めました。毎月2回、子どもたちを集めて教える形でした。うまくいったり、うまくいかなかったり、いろいろありましたが、一緒にヨーヨーをするコミュニティーができました。同じ中学の友だちもヨーヨーに興味を持ってくれたので、一緒にヨーヨーを教えたり、大会に行ったりしました。

姫路獨協大学を選んだ理由と大学での生活について教えてください。

中学、高校の時に保育所や幼稚園でヨーヨーのパフォーマンスをすることが多く、子どもや保育士とよく接するようになりました。やがて、「ヨーヨー以外でも子どもに携わりたい」という気持ちが強くなり、保育士資格や幼稚園教諭免許が取得できる大学を探しました。当時は姫路獨協大学医療保健学部にこども保健学科があり、養護教諭免許も取得できるという特色があったので進学先に決めました。自然豊かでゆったりとしたキャンパスも気に入った点です。
こども保健学科では、子どもや障がい者を支援する際にまず相手を尊重することが大切だと学びました。日常生活で人と接する際にも重要なことです。人との出会いを大切にするようになり、今でも通った幼稚園の園長先生やアルバイトで知り合った方などさまざまな人と交流を続けています。大学での学びをきっかけに培った人脈は、私にとって大きな財産です。
授業は真面目に受け、水泳のインストラククーのアルバイトもしていたので、ヨーヨーの練習は10分間の休み時間などを利用しました。

山下諒さんインタビュー画像3

「オトナ1年生」の頃など、人生でどのような悩みに直面しましたか。

将来は保育士になろうと高校生の時に決めたのですが、女性が圧倒的に多い職業です。周囲からも「本当に保育士になるの?」と言われ、気持ちがぐらつくことがありました。でも、実習で子どもと接するのは楽しかったし、保育士になるという思いは変わりませんでした。
ところが、保育士として就職すると、女性主体の職場なのだと思い知らされました。例えば、男性が着替える場所はなく、保護者の「男性保育士はちょっと……」という目も感じました。さまざまなことが重なり、悩んだ末に1年目に退職しました。
「終わった」と思いました。それまでの人生は順調だったんです。ヨーヨーで有名になり、高校受験と大学受験もトントンと進み、保育士になるために大学4年間を過ごして保育士というゴールにたどり着いた。その途端に味わった挫折です。再スタートを切りたいのになかなか再スタートできず、「他の人は正規職員として頑張っているのに、自分は無職になってしまった」という思いに悩まされました。

どのようにして立ち直ったのですか。

当時、明石市スポーツ推進委員としてヨーヨー教室などの活動を続けていました。そうやって地域と関わるなかで、すごく輝いている自分を見つけることができたんです。「地域に貢献している」と自分を肯定できました。
また、明石市の臨時職員の仕事に就いたのですが、正規職員へのこだわりが自分を苦しめていました。しかし、地域の人と接するうちに、「いろいろな働き方があり、一つ失敗しても人生の終わりではない」ことに気付きました。
挫折を乗り越えるまで3年かかりました。その間、「自分はこれからどうなっていくのか」と不安でしたが、周りの人が声をかけて支えてくれました。ヨーヨーも、立ち直る時の大きな支えでした。大学時代に全国優勝を成し遂げたことが、ヨーヨーに限らず「頑張ればできる」という自信につながっています。

山下諒さんインタビュー画像4

大学卒業後のヨーヨーの成績はいかがでしたか。

それまでずっと3位以内だったのに、6位や8位に低迷しました。私にとっては仕事あってのヨーヨーです。就職して練習時間が取れなくなったうえ、練習が義務的な感じになっていました。仕事の不調も成績に影響しました。楽しくないと演技に現れて、ひもが絡まってしまうんです。スケート競技の転倒と同じで大きな減点になります。
その後、2018年に今の職場に正規職員として採用され、やっとヨーヨーに集中できるようになりました。ブランクで順位はなかなか上がらず、決勝には残るけど入賞できないという状態がずっと続きました。でも、ヨーヨー仲間と接するうちに「やっぱり楽しいな」と思うようになってきて、成績も上がってきました。
2023年に全国大会で4位になり、世界大会にも出場して8位まで上がりました。今は、再びヨーヨーの火が付いた状態です。

ヨーヨーに出会えて良かったと思いますか?

競技自体も楽しいし、いろいろな人と出会うきっかけになってくれたので、ヨーヨーに出会えて本当に良かったと思います。
できなかった技を「できるようになりたい」という気持ちを持ち続けて練習し、できた時の喜び。それ以上に大きいのが、仲間ができる楽しさです。互いに技を見せ合ったりしてコミュニティーが広がり、世界中に友だちができます。ヨーヨーを続けていなかったら、出会えていなかった友だちです。私にとってヨーヨーとは、人とつながるツールだと言えます。

山下諒さんインタビュー画像5

オトナ1年生にメッセージをお願いします。

18歳の頃の自分にメッセージを送れるなら、「いろいろと不安になるのも分かるけど、まずは目の前のことを頑張れ」と言いたいですね。18歳の頃って、先のことを考えると不安で仕方がないんですよ。当時の私は「どうしよう」と考えすぎて、一歩を踏み出せない面がありました。
今のオトナ1年生にも、「とにかく動け」とアドバイスを送りたいです。頑張って動いたら、それなりの結果が得られます。考えるのはその時でいいんです。動いてみて何かを獲得したら、それがまた何かに気付けるきっかけになります。
挫折することもあると思います。特に、一つの目標に向かって進んでいて、その道が断たれてしまったら頭の中が真っ白になってしまうでしょう。しかし、道は一つではなく、他にもいろいろな道があります。私は、人との出会いと関わりを大切にしていたおかげでそのことに気付き、前に進めました。挫折は、乗り越えられます。

山下諒さんインタビュー画像6

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