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GODRi
GODRi
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11

Interview

ロックバンドSiM
ドラマー

GODRiさん

たくさんの「ダサい自分」が

未来の進撃を支えてくれる

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Interview

ロックバンドSiM
ドラマー

GODRiさん

たくさんの「ダサい自分」が

未来の進撃を支えてくれる

プロフィール

1986年6月24日生まれ、姫路市出身。高校卒業後に音楽専門学校「ESPエンターテインメント東京」で学んだ。ライブハウスでの活動を経て2009年、ロックバンド「SiM」に加入。テレビアニメ『進撃の巨人The Final Season Part2』のオープニングテーマとして2022年1月に発表した「The Rumbling」は米ビルボードの「ホットハードロックソングチャート」で週間1位、YouTubeの累計再生回数1億を超える大ヒットを記録した。妻と5歳の息子との3人家族。

ゴリさんは姫路出身で、世界的に注目されているロックバンドSiMのドラムスです。2022年にリリースした「The Rumbling」は、アメリカ・ビルボードのホットハードロックソングチャートで1位となる快挙を成し遂げました。

アニメ「進撃の巨人」The Final Season Part2 のタイアップという話をいただいて、できたのが「The Rumbling」です。メンバーの間では「これで知名度が上がるだろうな」と、ある程度予想はしてたんです。けど、ふたを開けてみたら日本だけじゃなくて海外で盛り上がってて、「なんじゃこりゃ」と驚くことに。YouTubeのコメントとか、「ドラムたたいてみた」の動画もどんどんアップされ、反響が予想以上すぎて逆にドン引きするみたいな……。日本のアニメは海外でリスペクトされてる。そして、海外の人に愛されている「進撃の巨人」のThe Final Seasonの世界観に、「The Rumbling」という楽曲がバシっとはまったんでしょう。

この曲をひっさげてアメリカツアーに行きました。

ネットの反響はわかってても、僕らは「実際ライブに行ったら、そうでもないやろ?」と半信半疑で乗り込んだんです。けど、ステージに上がって演奏を始めたら、お客さんは「待ってました」って感じの反応で、「The Rumbling」以外の曲でも盛り上がってくれる。僕らをちゃんとバンドとして見てくれてるな、音楽を評価してくれてるんやなと実感しました。会場の警備をしている大柄な男性も、最初のうちは冷静に仕事をこなしてる感じだったのが「The Rumbling」が始まった瞬間、「えっ?お前らやったんか」って表情に変わった。曲のパワーを感じたし、「ありがたい、作ってよかった」と思えましたね。

ゴリさんインタビュー画像1

そんなゴリさんと音楽のなれそめを聞かせてください。そもそものきっかけは?

誰に憧れたわけでもなく、ノリで始めてましたね。「ゆず」「19」といったニューフォークがブームだった小6の頃に、アコースティックギターを弾き語りするようになって、中学に入ると、身の回りに「ギター野郎」が増えてきて、姫路の駅前で弾くようになった。そのうち、隣の学級にエレキギターが弾けるやつがいるという話を聞きつけて、「マジで?エレキってどんなん?ちょっと弾いて!家行くわ」って。そいつがL'Arc~en~CielとかGLAYを上手に弾いていたので、「どうせならバンドやりたいね」ということで、エレキは彼で、僕とフォークデュオやってた相方は容姿が整ってたのでボーカルになって、残った僕はベースかドラム。で、ドラムの方がかっこよさそうやと思って……。

楽器が欲しくなりますね。

すぐにドラムセットを買うお金はないから、まずスティックを手に入れました。ベースやってる友達の家にガレージがあって、乗ってきた自転車をガレージに置いて、サドルをスティックで叩いたのが始まりです。「漫画雑誌をガムテープで巻いて叩いた」というドラマー仲間もいましたね。でもやっぱり本物がほしい。「BANDやろうぜ」という雑誌の通販のページに4万円ぐらいのセットがあったので、おカネをためて買い、親も夕方6時ぐらいまでだったらいいよと言うので、自分の部屋で練習しましたね。最初の頃、コピーしてたのはL'Arc~en~Cielのyukihiroさん。フィルとかオカズ(リズムパターンに変化をつける即興的な部分)を勉強しましたね。静かに叩いてたのが、だんだん上達するにつれてショットが強くなり、音もでかくなる。バンドのメンバーがうちに集まって、アンプも持ち込んで練習するようになった。

いい環境で鍛錬できたのですね。

僕が育ったのは姫路の浜手にある昔からのムラで、「祭りが命」という空気があります。祖父や親戚のおじさんは祭りの太鼓を教えたりしてて、僕も小さな頃から教わって太鼓をたたくようになり、村の人からも「センスあるなあ」と言われてきました。僕がドラムの練習してたら、2軒隣の子が影響受けて始めたという話もありました。

ゴリさんインタビュー画像2

ライブ活動はその頃から?

中学の頃はずっとコピーで、定番のブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)とかもやりましたね。高校1年生の時、友達に連れられてライブハウスの「姫路ベータ」に行き、そこでギターやってる2学年上の先輩と意気投合して、「メロディックパンクとかやりたいねぇ」と。3ピースのバンドで本格的な活動を始めて、その頃になると、今はなくなった「姫路マッシュルーム」を中心に出てました。ライブハウスではバンドの先輩たちからいっぱい怒られ、バンドマンとしての礼儀をたたき込まれて、そのおかげで成長できたと思ってます。
僕の育った地域はやんちゃな仲間が多くて、僕はそんなに「ヤンキー」でもないけど多少はイキってた。ライブハウスに行ったらハコ(会場)の人とか他のバンドにあいさつするとか、今思えば当たり前のことだけど、尻をたたいてくれる先輩がいてくれて良かったと思います。ライブが終わったら打ち上げをやって、先輩たちと朝まで語り合ったり、怒られたり、教えてもらったり、みんながむしゃらに音楽やってた。バンドというのは、こうして育っていくんやなと実感できましたね。

その頃から音楽の世界でやっていきたいと?

音楽に夢中で高校にも行きたくなかったけど、親から「高校だけは行っとけ」と仕方なく行ってた部分がありました。勉強するのはただただ苦痛で、学校が神戸にあったので、三宮に遊びに行ったりして「カルチャー」を知るきっかけになったかな。で、地元では高校2年生の時に、祭りの屋台で太鼓を叩く役割が回ってきました。一番大事な部分を任されたんですけど、緊張して大失敗してしまい、村の人からも厳しく言われて、「祭り恐怖症」みたいになった時期もありました。高校3年生の年は、祭りの日と大事なライブの予定が被って、僕は思い切って祭りを蹴ってライブに行った。この時、自分は音楽を選んだんだなと思います。

ゴリさんインタビュー画像3

高校を出て上京しました。

音楽の専門学校に2年間通ったことで、独学ではやれてないことを経験できました。全然面白くない基礎練習をいっぱいやらされて、それが今、ものすごく身になってる。
僕が行ったESP(ESPエンタテインメント東京)は「ロックな学校」で、先生が授業まるまるライブのビデオを見せるとか、いろんなジャンルの昔の映像や音楽のルーツを学ばせてもらいました。新しい音楽ばっかり聴いてると、音楽性に芯がないというか、専門学校に行くことで、ロックをやる上で重要な部分を学べたんじゃないかな。録音技術も今はすごく進化して、ミスがあっても簡単に修正することもできる。けど、そうやってない1970、80年代の録音には「生々しさ」を感じる瞬間がある。僕らのレコーディングの時は、リズムがずれてるような時でも、「カッコいいからそのまま行こう」と、あえて生々しくやることがありますね。

ちなみに、東京に行ってすぐに馴染めたのですか?

大きかったのは「言葉の壁」ですね。僕、敬語が苦手みたいで、バイトを始めた時に、東京なら「○○ですよね?」と話すところを「○○やんね?」と聞くと丁寧語みたいに思ってたんですけど、先輩から「お前、生意気だなあ」って言われるようになって。初めて地元を離れて違う空気を吸って、けっこう泣くこともありました。でも壁があったことで、イキってた自分がもまれて、性格が丸くなったところはあるかな。

その後の音楽人生は順風満帆ではなかった。

卒業して1年ぐらいたってから、音楽を諦めて地元に戻ったことがあります。いくつかのバンドで活動したけど、そのバンドが解散したり、人間関係がうまく行かなくてやめたり……。ライブハウスで照明とかステージのケーブル巻くとか、裏方作業のアルバイトをしながら他のバンドを眺めて、「楽しそうやなあ、俺は全然うまいこといってない。自分が本当にやりたいことと全然違うことをやってる」って悩むようになって、何かプツンと切れた感じでした。何週間かは姫路の実家に引きこもってて、友達から電話が来ても無視するぐらい、追い込まれてた。そこで救いになったのは、実家がコンビニエンスストアのフランチャイズ店だったことでした。様子を見かねた母親が「働きなさい」と言ってきて、コンビニのバイトをやるようになりました。

ゴリさんインタビュー画像4

そんな時にSiMと出会ったのですか?

半年ぐらいコンビニのバイトを続けていくうちに、理由もなく、自分の体の根っこで「音楽やりたい」「ドラム叩きたい」という思いが湧き出てきた。ドラムが、音楽が、好きで、体の中に染みついてるモノがあるんでしょうね。音楽以外は何もできない自分。骨折した後、時間をかけて骨がつながっていくみたいに……。仲間からは「このバンドがドラムス探してるよ」っていう連絡も来てて、僕は「次にやるなら本気でやりたいバンドで」と考えるようになってました。SiMがドラムを探してると知った時は、専門学校時代の友達が声をそろえて「ゴリなら合うんじゃないか」と言ってくれた。CDを聴いて、もう一回やってみようかなという気持ちがわいてきたので、親を説得して「もう一度、東京で頑張ろう」と決めました。
実は専門学校の2年生の頃、ライブハウスでたまたまSiMの音楽を聴いて、面白かったからCDも買ってたんです。音楽の(ジャンルの)混ぜ方がすごく特殊で、今のSiMよりもっとコアな感じ。僕は元々パンクが好きで、そこからレゲエが好きになって、うまくミックスさせたバンドをやりたいという思いがあったんで、「これだ」となりました。
ドラムに関しては先輩にはすごい人がいっぱいいるし、ドラムの基礎も先輩から教えてもらってきたから、自分が上手いと思ってるわけじゃないんだけど、ずっと同世代には負ける気がしなかった。そういう自信があったからこそ、ことがうまく運ばないと、「上手いだけじゃだめなのか?」という絶望感が強まったと思います。SiMを紹介された時に、周りの人たちに助けられてることに感謝したし、一番大事なのは「人と人とのつながりだな」と初めて気付きましたね。

ところで、音楽以外の趣味はありますか?

趣味とかあんまりないんですけど、強いて言えば昔から「ゴジラ」ですね。

ということはGODRiという名前は…。

高校生の時に友達がゴリというあだ名をつけて、見た目がそうやからゴリラのゴリなんですけど。SiMに入った時、ライブハウスでメンバーシートと曲順表を僕が書き込む役で、普通に「GORI」って書くのは面白くない。GOD、ゴジラ(GODZILLA)、怪獣、ちょうどええなと、「GODRi」って書いてみたんです。そしたらボーカルのMAHがニヤニヤしながら「お前は神だよ」って言い出して……。

ゴリさんインタビュー画像5

SiMでの活動を始めてから14年がたちました。現在の夢は何ですか。

もっともっと世界に飛び出して、いろんな国、地域を経験したい。レゲエ発祥の地である、ジャマイカにはぜひ1度行って、その空気を肌で感じたいです。

ここまで話をうかがって、ゴリさんを語る上で姫路は重要な要素だと理解しました。

祭りが盛んで、やんちゃな人が多くて、みんな口が悪いけど、僕は姫路で育ってよかったなと思うし、姫路で経験したことがすべて、自分の核となってます。僕は姫路出身だということを、声を大にしてもっともっと知らせていきたい。

自らの歩みを踏まえて、大学に進んだり、社会に出ていく「オトナ1年生」にメッセージをお願いします。

オトナになってから、いろいろ悩んだり、泣いたり、スムーズな道ではないし、つらい思いをするけれど、そのまま進んで行ってほしい。僕は「あの時の自分、ダサかったな」と思える経験をいっぱいしてきて、37歳になっても、ダサくて情けないと思うことはいっぱいある。息子が生まれて親になってから、自分の経験をどう伝えようと考えた時、「こういうやり方だと失敗してしまう」と導いてやる方法もあるんだろうけど、失敗しないままオトナになって、急に大きい失敗をしてしまったとしたら、むしろ大変なんじゃないか。人は失敗して強くなる。どんどん失敗を重ねていってほしいな。
もう一つ、僕の場合は仕事もプライベートも「頑張りすぎない」のがモットーです。音楽は基本、楽しむもの。頑張りすぎて、かえって物事が悪い方向に進むことも多かった。これ以上頑張ったらだめだと感じたタイミングで、ちょっと怠けたり、力を抜いたり…… 。頭の中を切り替えることも大事だと思っています。

ゴリさんインタビュー画像6

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