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薬学部コラム

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第37回

或る風鈴騒動始末

医療経済学研究室 栁澤 振一郎 教授


 季節外れではありますが、風鈴に纏わる話をひとつ。
あるマンションでの話。一人暮らしの若者が居りました。その若者、風鈴を愛すること人並みはずれ、毎日風鈴を着けっぱなしで「チリンチリン」鳴らしている。初めのうちは風流なことと聞き流したり、独身の若者が無聊(ぶりょう)を慰めているのだと同情的であった同じマンションの人達も、日が経つにつれ、いささかウンザリしきて、「うるさい」と近所中で囁かれるようになりました。しかし、無難な近所付き合いを大切に考えているマンションの人々は、我慢強く耐え、だれ一人その若者に文句を言うことができません。しかし、確実に不満イライラは鬱積していきました。そんなある日、台風の強風が吹き、風鈴の下のヒラヒラがとれました。そうしたらその若者、そのヒラヒラを付け替えて平然と鳴らし続けました。音というものは人により感じ方が異なり、ある人には快い響きでも、ある人にとっては我慢ならない騒音であることがあります。この若者、昼間は勤めに出ていて夜だけ在宅。それも帰らぬ夜もあるとのこと。他人への迷惑など歯牙にもかけぬタイプらしい。「鐵(くろがね)の秋の風鈴鳴りにけり」なんて風流なことを言っていられない夏炉冬扇、秋が来て冬が来て、何と一年が過ぎました。さすがに近所の人達もエレベーターの中でシカトしたり、ゴミ出しの仕方で目くじらを立てたり抵抗を試み始めました。そんな時、有り難いのは天の采配、この風鈴はガラス製であり、ある時ものの見事に割れたのでした。これには近所中が喜んだ。ノイローゼ状態が治った。近所のおばあさんが言った「お赤飯でも炊こうかい」。しかしその数日後、この善良な人達は愕然とする。この若者、新たな風鈴を買ってきて再び掛けたのでした。
 皆さんはこの話どう思いますか。日本人の多くはマンション暮らしに慣れていません。他人には些細なことでも当人にとっては重大なことと言うものが日常生活の中には沢山あるものです。壁一重で隣家と接するマンションでは、些細なことをバカにしてはいけません。この集積が私達の生活の質を向上させたり墜落させたりするのです。この場合、理性的な節度ある生活態度は程度の差はあれ双方に求められます。
 前述のように日本人にはマンションという住環境の馴染みが薄い。その点イタリアのローマ辺りのそれは千年からの歴史を持ち、このような問題はスマートに解決されているようです。月に一度位、誰彼となく飲み物や食べ物を持ち寄り、ワイワイやりながら和やかな雰囲気を自分たちで作り、何でも気楽に話ができるような場を作り出しているようです。近代都市の中に村社会のようなものを残しているのです。そう言えば、日本にも似たような「長屋」の文化がありましたね。
 プライバシーや個人の自由は確かに大切です。しかし同時に、公共性とのバランスを考えることも忘れないようにしたいものです。それに「事は小さいうちに芽を摘む」という心得も大切ですね。

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