• Instagram
  • X
  • YouTube
  • TikTok
井上 清美
井上 清美
井上 清美

01

Interview

姫路獨協大学学長
学校法人獨協学園理事

井上 清美

18歳で自立を決意。

困難や課題を前向きに捉えて歩んできた

01

Interview

姫路獨協大学学長
学校法人獨協学園理事

井上 清美

18歳で自立を決意。

困難や課題を前向きに捉えて歩んできた

プロフィール

専門は公衆衛生看護学・地域看護学、公衆衛生学。兵庫県行政職員(保健師)として約30年にわたり県内各地の保健所などで子育て支援、疾病予防、健康な地域づくりなどを実践。神戸市看護大学、神戸常盤大学を経て、2016年に看護学部を開設した姫路獨協大学教授に。看護学部長、副学長を経て2023年4月から第11代学長に。博士(医学・岡山大学大学院)。修士(保健学:神戸大学大学院)保健師・看護師・養護教諭・精神保健福祉士

2023年に学長に就任されながら公衆衛生学教授として登壇されています。看護・養護の仕事や学びに興味を持ったのはいつ頃からですか?

高校生の時に父が事業に失敗し、経済的理由から安価な県立の看護師専門学校を教えられてそこに進学しました。特に興味があったわけでない看護分野に飛び込んだのはたまたまでした。寮生活をしながら、アルバイトで学費を賄いました。私はその時、親が大変だったのをむしろ「親から自立できるチャンス」と捉えていました。

どんな学生でしたか?当時の印象深かった体験も教えてください。

特に関心が深かったわけでなかったとはいえ、学校では知らないことを学べてとても面白かったですよ。そして何より多くの人との出会いがありました。寮の仲間やアルバイト先で知り合った人、大学医学部や他の看護学校の学生たちなど多くの人とのつながりが生まれました。そのなかで特に印象深かった体験は、学生仲間で兵庫県内各地の無医地区へフィールドワークやボランティアの医療支援活動を行ったことです。夏休みに公民館に泊まり込み、地域の健康相談などをしながら住民の方々と交流しました。そうした活動を通じて、医療の世界にどんどん興味がわいてきました。病院で働くだけでなく学校や保健所など看護師にはさまざまな将来の選択肢があることも知りました。学生らは公害・環境問題など社会課題への関心も高かったです。良い意味で学生に自由があって、学校以外のいろんなことに私も関心を持って参加していました。

看護師専門学校から保健師学校に進まれたのはなぜですか?

看護師専門学校は3年で卒業し、3年間看護師として愛知県がんセンターなどで働きました。恩師から「勉強できるチャンスがあればやりなさい」とのアドバイスもあって、保健師学校に進むための学費を貯めようと思ったのですが、当時の最先端の医療施設で、さらに日野原重明先生が普及させた、患者さんの問題を合理的・系統的に解決するPOSという思考方法を実践していた愛知県がんセンターでの体験も大きな刺激になりました。そこでの2年間は懸命に勉強しました。そんな最先端施設でも多くの患者さんが苦しみながら亡くなっていくのを見て、予防活動への興味が沸いて、「もっと勉強したい」という思いがますます強くなっていきました。それから神戸にあった県立の保健師学校に進んで、1年で保健師と養護教諭の資格を取り、合計4年間の教育を受けたことで、兵庫県行政職員(上級)になりました。

井上清美さんインタビュー画像1

県の保健師として働き始めたのですね。

最初の配属先は伊丹保健所川西分室でした。当時の保健所の新米保健師の主な仕事は、赤ちゃん健診と結核患者対応でした。新人として毎日、赤ちゃんのいる家庭や結核患者の家庭を訪問したことが私のその後の原点になりました。保健師なので皆さんの生活の場に入れてもらえ、いろんな人の人生を知ることができました。人生の先輩たちと話ができたことは若かった私には強烈な体験でした。保健所ではチームで行う仕事も多く、人に支えられながら同時に勉強もできるこんな素晴らしい仕事はないと思うようになりました。
その後、県の保健行政に30年間携わり、県内各地の保健所に勤務しました。地域性などの生活環境が健康問題に大きく影響をもつことに気づきました。そのうちに県立保健師専門学校の教員という教育の仕事にも就き、看護教員資格や大学も卒業しました。また、保健師長という立場だった時に、難病の人を支えるプロジェクトに一緒に取り組んでいた大学の先生から「これからは看護学部を出た大学卒の看護師が増えてくる時代なので、その人たちを指導するなら修士の資格を取ったらどうですか」と勧められて、神戸大学の大学院を受験し合格。働きながら修士を取りました。さらに県民局体制の課長職になった時に、実践を活かして大学教員にならないかと誘われ、岡山大学の大学院で公衆衛生分野の研究で、博士号を取得しました。その後、神戸市看護大学、神戸常盤大学を経て、2016年に看護学部を開設した姫路獨協大学に着任しました。
保健師としての私は、ずっと、声の小さな人々、マイノリティの人々の健康支援に関心を持ち続けていました。そして、いつも背中を押してくれる良い仲間や上司に恵まれました。

姫路獨協大学での教育の仕事の魅力や学長としての苦労をお聞かせください。

教育では自分より先の未来を歩く人に毎日出会うわけですから面白いですよ。学生たちとの出会いが楽しくて仕方ありません。いろんな困難はありますが今に専心していれば周りのことに煩わされることはありません。その時その時のさまざまな条件はありますが、私はその条件を組み合わせてその時できることを考えてきました。苦労や困難があったからこそ、自分が生きてこられたことをラッキーだと前向きに捉えられます。
困難とは自分に与えられた課題です。私は課題に挑戦するのが苦ではありません。学長になった今、人生で一番大きな課題に取り組んでいると言えます。この大学をどうしていくか、責務が大きく、これを困難と呼ぶかは別にして、自分としては光が見えてきたと思っているので苦しいと感じることはありません。今年は、学内の教育資源を活性化して、姫路市との官学協働で、発達障がいを含むこどもたちの支援「こどもの育み支援センター構想」を実現させようと考えています。保健センターの学内誘致実現をワクワクしながら進めていくつもりです。プラスなこととマイナスなことを同時に考えるバランス感覚が大事で、私はマイナスの中にも良い要素を探そうとします。そうしているうちに今までも道が開かれてきました。
私の世代は成人という大人になるのは20歳でした。でも私の場合は、自立せざるを得なかった18歳の時に大人になったという感覚でした。何でも自分で決め、選択肢があった時には2日間じっくり考えて決めました。18歳になった学生たちにも、自分の人生なので自分で何事も決めてほしいと言いたいです。入学後に修練の時間が、たっぷりとあることは、何にも代えがたい幸運なことで、途中で「違うな」と感じたら別の道に進めばいいのです。大学は学生を囲い込む場所ではありません。姫路獨協大学に入学したら自分に納得できる時間を過ごしてほしいです。大学に来られる時点で幸せなことと考えて、そのチャンスを生かしてほしいです。

姫路獨協大学の役割をどうお考えですか?学生たちに求めることは?

本学には文系の人間社会学群があり、医療系3学部(医療保健学部、薬学部、看護学部)と合わせた総合大学だと考えています。姫路・播磨地域に根ざした総合大学として広い視野と高い専門性を持つ人材の育成を図り、地域社会づくりと地域医療への貢献を推進しています。恵まれた学内教育環境のもと、入学早期から学生が自らの将来像を見据えたキャリア教育や地域社会づくりに特化した実践的な教育を提供しています。他にも、医療系と文系の教育資源を総合化した初年次からの実践的でユニークな「多職種連携教育プログラム」を構築し、本学の教育的価値と存在価値を高めようとしています。教育内容を縦割りから横断的に横軸を通し、すべての学生が選択した学問の専門性と「医療・健康と社会」の教養を持った人材として養成し、社会に送り出します。
医療人材になるためには国家資格が必要です。日々に変化・進化する医療の分野のスタート台に立つために資格を取るという自覚を初年次から持ってほしいです。大学が送り出した後、仕事を継続することを期待しますが、それは本人の努力次第です。医療は暮らしの中のものです。コロナ禍で医療人はとても注目されましたが、1つのウイルスによって社会全体が大きな影響を受けたことで分かったように、医療は社会全体の課題なのです。そういう意味で普通の人の普通の感覚をしっかり持った専門人になることが大事です。姫路獨協大学でのそれぞれの学修期間、興味ある学問分野での修練で社会人として生き抜く力を身につけてほしいです。それは語学系、法律系、経済系の文系の学生も変わりないと思います。「大学は学問を通じての人間形成の場である」を教育理念とする獨協学園には、どんなこともできる自由で豊かなベースがあり、最高の教育環境があります。私は本学が1987年に全国初の公私協力方式で開学する前、県職員の時に大学誘致の署名に加わりました。獨協大学だから教員として着任したのです。入職を決意したとき獨協学園の起源の獨逸学協会学校の初代校長で日本の西洋哲学の父と言われる西周の生地、島根県津和野を訪ねたほどです。それほど「獨協への愛着」は強いので、私の夢は本学の卒業生が教員として本学に戻ってきてくれることです。

井上清美さんインタビュー画像2

コロナ禍の2021年に高齢者のワクチン接種会場として協力したのはなぜですか?

姫路市職員には専門学校の教員時代の教え子の保健師がたくさんいます。保健所職員との交流も多かったので、コロナ影響初期の混乱期に医療関係者からの電話相談の一部を大学として協力することになり、姫路市の保健所に教員を毎日1人派遣しました。その後、本学周辺がワクチン接種会場の空白地区になっていたことで、市長からの協力要請がありました。付属の医療施設を持たない本学ですが、地域医療を支える人材を養成する大学として地域に貢献する必要があると判断しました。同じ学校法人内の獨協医科大学から医師と看護師の派遣協力を得られ、本学職員も会場準備や企画運営で大いに尽力しました。保健所の指導も心強かったです。その結果、2021年6月から8月の土日と祝日に、高齢者市民に計9991回のワクチン接種を実施しました。その後、全国で多くの大学が協力しましたが、その先鞭をつけた取り組みでした。本学が、教職員の力を結集し、市民に役立ちたいという普通の人の普通の感覚を大事にした実践の例だったと誇っています。保健所長だった毛利先生は、いつも姫路獨協大学のことを応援してくださっていました。

姫路市周辺の高校生に望むことは何ですか?

とにかく本学を見に来てください。オープンキャンパスの時に限りません。事前に電話をくださればいつでも対応し、ご案内します。実際に見て聞いて、そのうえで進学先の選択肢の一つとして加えてもらい、さらに選択してくだされば、私たちは皆さんと一緒に過ごせることを幸せに感じます。

在校生への想いをお聞かせください。

混沌とした社会を生きてゆく力を本学にいる間に身につけてください。限界を決めないで、今、ここに専念してください。いつも本学の一員であることを感じながら、仲間とともに育ちあうということも忘れないでください。

井上清美さんインタビュー画像3

  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS