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道谷 卓
道谷 卓
道谷 卓

07

Interview

姫路獨協大学教授・大学院法律学専攻教授

道谷 卓

法律と歴史の二足のわらじ。

ボランティアも生活の一部に。

07

Interview

姫路獨協大学教授・大学院法律学専攻教授

道谷 卓

法律と歴史の二足のわらじ。

ボランティアも生活の一部に。

プロフィール

専門は刑事訴訟法。1988年関西大学法学部卒業。1990年同大学院法学研究科博士前期課程修了。1993年同後期課程単位取得。2003年奈良産業大学法学部助教授。2005年姫路獨協大学法学部助教授。2007年同教授。著書・翻訳書に『アクティブ刑事訴訟法』(共著、法律文化社、2022年)、『ニュージーランドを知るための63章』(共著、明石書店、2008年)、『ニュージーランド百科事典』(共著、春風社、2007年)。法学修士。

令和5年秋の褒章で「藍綬(らんじゅ)褒章」を受章されましたが経緯を教えていただけますか?社会貢献活動の取り組み内容やきっかけも教えてください。

2001年から非行を犯した少年たちと加古川の少年院で面談する篤志(とくし)面接委員のボランティアを続けてきたのが評価されました。毎回2人の少年を担当し、毎月1回1時間ずつ話をします。「被害弁償をどうやって返せばいいのか」といった相談から、進路指導や高卒認定試験のための問題集を持ち込んでの勉強指導までさまざまな相談を受けます。第3者を交えず濃密な時間を繰り返すと、そのうちに会うのを心待ちにしてくれる少年もいます。片親やネグレクトなど家庭環境に恵まれない子も多く、「何でこんな子が少年院に」と思うことも多いです。
もともと1995年の阪神・淡路大震災の時に法律の専門家として保護司の活動を始めました。当時31歳で全国最年少の保護司でした。篤志面接委員は少年院の法務教官をしている大学のゼミの後輩から、講演を頼まれたのがきっかけです。私にとってはどちらも日常生活の一部の楽しみになっていて、20年以上も続けたという実感はないですね。これからもできるだけ長く続けたいです。

法律や歴史に興味を持ったのはいつ頃で、きっかけはありますか?

実は小学4年の時に歴史が大好きになりました。テレビの水戸黄門(東野栄治郎の時代)のドラマにはまり、徳川光圀の伝記などを親に買ってもらい読むようになりました。神戸の県立御影高校では歴史研究の部活動で地元の郷土史家に出会って本格的に史料や文献を読み解く面白さに目覚めました。一方、中学の公民の授業でえん罪事件の「財田川事件」を習いました。死刑囚だった谷口繁義さんの最初の再審請求を棄却したことを悔い、再審裁判では谷口さんの弁護士として無罪判決を勝ち取った矢野伊吉という弁護士の話に感動し、弁護士という仕事にも憧れるようになっていました。だから大学進学に際して、好きな歴史研究を続けられる文学部史学科に進むか、憧れの弁護士を目指せる法学部に進むか、どちらにするかで悩みました。18歳のころの大きな悩みです。そこで自分なりに出した結論は、「一番好きな歴史を仕事にはしたくない。仕事にしたら苦しくなっても逃げられない。歴史は趣味として一生楽しみたい」ということでした。だから今も歴史研究はずっと続けられています。神戸の郷土史研究を続け、ボランティアで地元の神戸深江生活文化史料館副館長も務めています。神戸市の依頼で郷土史の本を何冊も出版していますし、史跡の説明看板の文章の監修などもしています。
関西大学法学部に進学後は、司法試験を目指して1年生から必死に勉強しました。ただ、憲法、刑法など公法系は好きなのですが、民法が苦手で司法試験で苦戦しました。4年生の時に司法浪人するか悩んでいたところ、ゼミの先生に大学院に入って研究者の道に進むことを勧められたのです。刑事法の研究者になればドイツ語の文献を大量に読む必要があり、司法試験の勉強どころではなくなるので、弁護士の夢とは決別しました。修士論文は刑事訴訟法の公訴時効についてでした。
歴史は過去の分からなかったことを解明し人に伝える面白さがあり、法律は犯罪者がどうしてその罪を犯したのか、立ち直るにはどうすればいいか、など人間的な面白さがあります。また、刑法や刑事訴訟法について、なぜその法律がその時代にできたのかなど歴史的経緯をたどる面白さは歴史好きの私には魅力ですね。歴史学も刑事裁判も史料や証拠をもとに過去の事実を明らかにするという点では手法、方法論が同じです。だから私は二足のわらじをこれだけ長く続けてこられたのかなと最近思います。

道谷さんインタビュー画像1

大人になった時(当時20歳)の心境やエピソードを教えてください。これまでの人生で壁にぶつかったことはありますか?またそれをどう乗り越えましたか?

大学1、2年生のころは成人式に興味もなく、20歳になった実感はあまりなかったですね。酒、たばこのことより、法学部だったので選挙に行けることと罪を犯せば実名が出るということを意識しました。
最初の大きな壁は司法試験でした。結局、合格できず弁護士の道を諦めたのですが、法律で食べていきたいと考えて研究者の道に進んだのです。4年生の時には周りの友達が就職活動して内定をもらっていても、1人だけ司法試験を目指し就職活動をまったくしなかったので、焦りもありました。アルバイトで予備校の日本史講師もやって結構いい報酬をもらっていて、このまま受験産業にという誘惑を感じた時期もありました。
研究者になっても専任教員のポストがなかなか見つからないという壁も経験しました。私が専門の刑事訴訟法の教員は法学部に1人いたらいいポストで、需要が少ないのです。憲法なら法学部以外にもポストがありますが、私は法学部でポストを探すしかなく苦労しました。それが最初から分かっていたのにこの道に進んだのは、刑事訴訟法が生身の人の裁判に関する法でとても研究しがいがあると感じたからです。
刑事訴訟法研究では、検察制度のない珍しいニュージーランドの法制度を調べたり、インターネット犯罪の捜査についてインターネットの出てきた初期から共同研究もしています。最大の研究テーマは公訴時効の起源という歴史的研究です。30年近く研究していますが、まだこれだという確証が得られません。なかなか分からないというのも魅力です。2010年に殺人の時効廃止の法改正があり、その時は自分の研究テーマが突然社会問題になり、数少ない専門家として多くのメディアに取り上げられました。

今も姫路獨協大学の教壇に立たれていますが、どんな変化がありましたか?

私が本学に着任して19年目ですが、19年のうち16年は入試就職部長、法学部長、副学長というマネージメントの役職を兼ねていました。その間、中小大学の学生数減という現実の厳しさを実感してきました。学生数が減ったことで学生1人1人との触れ合いが増えた面もあります。その学生に関しても気質の変化を感じています。昔は斜に構えた反体制的な学生も多かったですが、今は素直で純粋な学生が多いです。ただ勉強は足りないなと思います。何より本や新聞を読まなくなった。インターネットからの情報収集では偏りがあります。自分が興味のある分野ばかりの情報になります。彼らが素直なだけに偏った情報も簡単に信じてしまう怖さがあります。
一方、この間変わらないこともありました。本学では法学部のあった時代から警察官になる学生が多く、年によっては30~40人に上ります。今も私のゼミが刑事訴訟法のゼミであることもあって、ゼミ生のほとんどが警察官志望で、兵庫県警には教え子がいっぱいいます。だからゼミの授業では、警察官になってから役に立つ実務的な内容になるように心がけています。例えば捜査段階の職務質問や所持品検査について、どこまでなら許されるのかとか、具体的な判例を紹介します。違法な証拠収集は真犯人を捕まえても無罪判決が出ることがあるということもあるので、警察官は法に基づいて動くことが求められると強調します。想定問答集による面接指導もかつては行っていました。

道谷さんインタビュー画像2

文系の人間社会学群の意義とは何でしょうか?

人間社会学群では医療・スポーツ、経済経営、会計・情報の3コースから選んだ分野に軸足を置きながら、言語や法律分野も幅広く学べて「専門性+α」の素養を身につけられます。地域から世界まで、幅広いフィールドで活躍できる人材を養成でき、これは現在大学教育に求められている「ジェネリックスキル」を備えた人材育成の要請にも合致するものです。こうした文系の特色と医療系の良さが融合して今後の姫路獨協大学が進んでいけたらと思っています。

「オトナ1年生」のご自分にメッセージを送ってください。

私は2つの進路のうち法律に決めたのですが、当時は「2つしかない」とがちがちに頭が固まっていました。今から思うともうちょっといろいろな幅広い選択肢を持てていたら、少し違う自分になっていたかもと思います。2つに絞らず広い視野が持てていれば、違う人生もあったかなと。完全に文系人間で理系にはまったく興味がなかったですが、インターネット犯罪の刑事訴訟法の研究をした時には、もうちょっと数学などの知識があったらもっと深く研究でき、その分野の第一人者になれたかもと反省しました。だからメッセージにすれば「頭を柔軟にして、もっと広い視野を」ですね。

道谷さんインタビュー画像3

進学や社会に出ていく「オトナ1年生」にもメッセージをお願いします

18歳から成人になって、大学の教員としては、学生の中に成人と未成年が混ざっている状態と比べてやりやすくなりましたが、個人的には「18歳はちょっと早いな」と正直感じます。高校生まではほぼ決められたレールの上を進みます。先生や親の言うことを聞いていたらある程度のことはできます。しかし、大学や社会ではそうはいきません。18歳が成人になって、すべての責任を自分で負わないといけません。オトナ1年生は、自分でレールのポイントを切り替えなければいけないのです。行き先を自分の判断でしつかり見極めて、決めることが求められます。誰かに任せきりの人生にしてはいけません。自分で判断する力を早く養ってください。自分で決めたら自分でやろうという思いが強くなるはずです。

道谷さんインタビュー画像4

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