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Interview
株式会社メルカリ
人事/給与・労務・ビジネスサポートチームマネージャー
迷っても一歩前へ
やり遂げることで自分を発見できる
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Interview
株式会社メルカリ
人事/給与・労務・ビジネスサポートチームマネージャー
迷っても一歩前へ
やり遂げることで自分を発見できる
プロフィール
1982年4月、姫路市生まれ。2005年、姫路獨協大学外国語学部を卒業後、電機メーカーに入社し、東京で一人暮らしを始める。07年以降、米金融大手モルガン・スタンレー、同じくゴールドマン・サックス、Appleなど外資系の世界的企業に勤務し、主に人事部門を担当した。22年2月から現職。骨が折れやすい難病「先天性骨形成不全」のため車いすを使う。東京で妻、愛犬と暮らす。ライブに出かけ、自らギターも弾く音楽好き。
人事の中で、福利厚生や給与、労務のマネジメントの業務をするチームと、様々なバックグラウンドを持つ方が活躍するビジネスサポートという二つのチームでマネージャーをしています。
交換留学の経験が人生のターニングポイントになりました。他の国の文化や言葉に出会うことにより、視野が広がったと思います。日本の場合、社会的に「こうならないといけない」という決まりのようなものがあると思うのですが、現地の大学では、外国から来た50代、60代くらいの人たちもいて、日本語を学んでいる人もいました。そういう人たちを見ていると、いくつになっても勉強はできるし、人生の選択は自由なんだとすごく思いました。私は車椅子を使っていますが、日本だとどうしても「障がいがある」というジャンル、カテゴリーのような見方をされがちです。しかし、現地の大学のスタッフには「あなたは動けるし、障がい者じゃないですよ」と言われました。とても印象的な言葉でした。
私の両親は何にでも挑戦させてくれました。その中で明確に覚えているのは、小さい頃に父から言われた「体を使った仕事は難しいので、頭を使った仕事を選べるようにした方が良い」という言葉です。それで、勉強ぐらいはやらなくては、という意識を子どもの頃から持っていたのだと思います。
外資系の会社への就職も考えたのですが、やはり日本の一般的な会社のことも知っておきたいと思い、新卒で電機メーカーに就職しました。2005年に入社し、経理部に配属されました。当時は基本的に定年退職まで働かれる方が多く、年功序列という感じです。20年後、30年後の自分の姿が見えたような気がして、本当は3年くらいはいるつもりでしたが、結局2年で退職しました。その後勤めたのは外資系の企業が多かったのですが、勤務地はほとんど東京です。 07年にモルガン・スタンレーに入社し、人事部に配属されました。リーマンショック(08年)の前で、金融業界はまだまだ成長しており、入れたのはタイミングもよかったのだと思います。ただ、社内はMBA(経営学修士)を取得した上司が多く、ある種の共通言語があると感じていました。私は経営学のバックグラウンドがありませんでしたし、人事をやるうえで経営学の視点はとても大事なので、基礎として必要だと思いました。それで集中的に学ぶため、10年に会社を退職し、慶應義塾大学大学院に2年間通ってMBAを取得しました。その間、米国ニューヨーク大学の大学院に半年ほど留学に行くこともできました。
社内向けの取り組みを通じても、世の中にいい影響を与え、新しい潮流を作れるところに大きな喜びを感じています。 ゴールドマン・サックス勤務時は、社内のフィットネスジムを運営したり、視覚障がい者によるマッサージ室を作ったりしたほか、介護、家事の手伝いサービスも導入しました。Appleでは従業員の子どもの保育園費用の補助を試験的に導入しました。そしてメルカリでは、妊活の支援や、卵子凍結の費用を会社が負担する制度など、新しいことに取り組んでいます。新しいことを先陣を切ってやることで、社会に影響を与えられたらいい。仕組みのつくり方によって、世の中を少しでも引っ張っていくことは可能だと考えています。 結果が残ることはもちろんやりがいになりますが、自分にとっては、社会的な課題にどう取り組むかを考えることがモチベーションになります。そのためには世の中がどう動いているかを常に認識しておかないといけない。どんなニーズがあるかを意識することがすごく重要だと思います。
Apple在籍時のことです。チームは私以外に英語が話せるメンバーがほとんどおらず、グローバルなコミュニケーションの面で苦戦していました。グローバルなチームと協力が必要になった時、当時の上司だったアイルランド人のマネージャーから、どんなことをやりたいかを聞かれ、「私は英語ができるので、日本のオフィスと米国本社との橋渡し的な役割をしたい」と伝えました。「頑張ってほしい」と言われるものと期待していました。ところが、上司からは「あなたが英語を駆使すれば、他のメンバーが英語の会議や本社とのコミュニケーションに挑戦する機会を奪うことになる。彼らの成長という観点もしっかり考えてほしい」と言われました。 この言葉は、その場で「良い仕事」をするのがゴールではなく、中長期的な視点で、会社にとって、個人にとって何が大切なのかをより高いレベルで考えるきっかけになりました。それまでは、どれだけ個人が自分の力で頑張るかに重点を置いて考えていたのです。今振り返れば、単に私が個人として架け橋になるのではなく、メンバーも巻き込んで、チームとして架け橋になることを求められたのだと思います。 今もそこは意識しています。会社ではもちろん短期的な結果を求められますが、その中で、メンバーの成長をどう考えるのかという中長期的な視点を持てるように心掛けています。
「Do The Right Things(ドゥ・ザ・ライト・シングス) 常に正しいことをする」です。仕事での決断でもプライベートな判断でも、常に道徳的な羅針盤として私を導いています。 Apple時代、アイルランド人の同じ上司から言われました。仕事のことで迷っていた時に相談したら、「Do The Right Things」と、その言葉だけが返ってきました。「自分で考えなさい」ということです。何が正しいのか、自分で軸を持つことが大事だと理解しました。もちろん、業務の提案の際に予算や他社との比較を考慮することは必要ですが、「会社として本当に何が正しいのか、どんなことを社員に提供したいのか、正しい判断をしなさい」と常に言われていました。今もいったん立ち止まって、本当にやるべきことなのかと考えるようにしています。
結構ありました。病気もあって就職の時や留学の時などに難しい面はありました。そこで大事だと思うのは、あきらめないことと、客観的にみること。渦中にいると、周りがあまり見えなくなるので、俯瞰的にみるのが大事だと思います。何が起きているかしっかり分析して、自分が変えられることと、変えられないことを分ける必要があります。大きな意味での環境は変えられません。私の病気も、突然治ることはないと思います。しかし、例えば仕事で、自分で変えられることがあるとすれば、そこにフォーカスすることです。変えられないことばかりを見ていると、ストレスや不満になってしまいますから。全体の構造を理解したうえで、自分で変えられること、できることにフォーカスすることが大事です。
姫路は心の故郷です。実家があり、両親とも健在で、年に1、2回は帰省しています。歴史と近代が共存する不思議な魅力にあふれ、進化し続ける町。大手の企業、工場もあり、産業は多様性があります。姫路城の雄大さ、新しいものが生まれる駅周辺の活気。それら全てが集約された、世界に誇れる街としての印象を、強く持っています。
まずは、大学での一瞬一瞬を活用し尽くすということ。授業は受け身にならずに積極的に参加し、教授やクラスメートとの討議に飛び込んでみてください。議論から生まれる新しい考えや見方が、あなたの世界を無限に広げてくれるはずです。 次に、遊びを疎かにしないこと。学びは大事ですが、人生の楽しみも重要です。友達をたくさん作り、多様な経験を積む中で、将来も長く付き合える仲間を見つけ出してください。彼らはあなたの宝物となるでしょう。 最後に、自分が誇れる何かを一つでも見つけること。それがスポーツでも学業でも芸術でも、自分が情熱を注げるものを見つけて、全力を尽くしてみてください。そこには自己成長の秘訣が隠されています。
ある道を歩き始めたら、迷いが生じることもあるでしょう。それは人生の一部です。でも、その迷いでじっと立ちすくむよりも、一歩ずつでも前に歩いてみてください。試すこと。挑戦すること。そして何より、始めたことを最後までやり遂げてください。そのプロセスを通じて、真の自分を発見することでしょう。 世界は瞬く間に変わります。予測不可能な未来に私たちは立ち向かわなければならず、そのためには自身の柔軟性が試されます。流行りの言葉や方法にとらわれず、さまざまな「カード」を手元に置いておくことを忘れないでください。勉強した知識カード、身に付けた資格や技能のカード、多くの友達カード、インターンシップをはじめとする経験カードなど、種類は多い方がいい。これらはすべて、未来の道を切り開くための宝物。なので、学生のうちから多くのカードを集め、常に自分自身の価値を高めていけるよう努力してください。
変化の波に乗って、社会に貢献し続けることが私の使命だと思っています。「Do The Right Things 正しいことをする」という思いは変わりません。でも、どんな形で実現するかは、これからも探求の旅です。常に革新的で、フレキシブルな姿勢を持ち続けることが私の目指す姿です。