14
Interview
日常のうたい人
ex ロードオブメジャー
あの頃の仲間と自分に支えら
れて、今の僕がある。
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Interview
日常のうたい人
ex ロードオブメジャー
あの頃の仲間と自分に支えら
れて、今の僕がある。
プロフィール
1980年8月、神戸市生まれ。高校生の頃からバンドを始め、2002年のテレビ番組企画をきっかけにバンド「ロードオブメジャー」を結成。デビュー曲『大切なもの』をはじめヒットを連発。2007年からソロ活動に入って現在に至る。曲作りの過程はすべて自身のnoteで公開。毎週インスタライブを敢行するなどアクティブに活動を展開。プライベートでは妻と3歳の息子との3人暮らし。休日はもっぱら愛息と遊ぶ日々。
高校2年生だったと思うんですが、当時カラオケがブームで、毎日のように友人数人とカラオケボックスに通い詰めていたんです。歌ってみると、いつも僕ともう一人の子の点数が高い。その子がロックバンドをしていると聞いて、楽器ができる友人を集めてコピーバンドを始めたのが最初の音楽活動ですね。ライブハウスに月1回は出演して、だんだんとオリジナルの楽曲も作るようになって、楽しかったですね。そもそも小学生の頃から、「将来はあまり働きたくないな」って思っていて(苦笑)。とんでもない子どもだったと反省するんですが、「音楽をやって食べていけるようになればいいな」と漠然と夢想していました。
姫路獨協大学とも縁があって、当時バンドにドラムがいなかったので、同大学の人にサポートしてもらっていたんです。ライブハウスで共演する他のバンドにも姫路獨協大学の学生が多かった。そのつながりもあって、うちのバンドは最終的に僕以外のメンバー全員が同大学の学生や卒業生になっていましたね。キャンパスにも毎月のようにお邪魔させてもらって、「大学っていいな、面白そうだな」と、少しうらやましい気持ちになったのを覚えています。
テレビ番組のドキュメンタリー企画で結成されたバンドで、僕は作詞作曲とボーカルを担当していました。
「音楽で食べていきたい、デビューしたい」という自分と、バンドメンバーとの熱意に温度差を感じて一人上京したんですが、デビュー前後を一言で表すなら「よくわからない」ですね(苦笑)。100日の間に50カ所でライブをやり、最後にCDをリリースして売上ランキングで上位になればメジャーデビューという企画。目標を達成して、デビューできた。作る楽曲も、すごくたくさんの人に聴いてもらえた。でも、実感がわかなかったんです。音楽で食べていくという夢が叶ったはずなのに、そこまでの大きな喜びを感じられませんでした。なぜだろうと振り返ってみると、主体性をもって活動していなかったからではないかと思います。僕たちはあまり動いていないのに、僕らの周囲を、人やプランがものすごいスピードで進んでいく。決してしんどさや感動がなかったわけではないのですが。
一人になり、ある種の解放感はありました。自分の好きなように音楽活動ができると思っていましたから。実際、バンド時代の音楽性にとらわれずにいろいろな曲を作って、充実した日々でした。でも、ある日のソロライブですべり散らかしたんです。自分の感覚として、満足のいくライブがまったくできなくて、以来ステージに立つことが怖くなってしまいました。楽曲にしても、自分の納得いく曲が書けて、サポートメンバーに素敵なアレンジをしてもらっているのに、CDの売れ行きはどんどん悪くなる。申し訳なくて、自分の責任、力不足を感じて精神的にまいってしまい、ソロデビューから10年ほど経ったある時、活動をやめる決断をしました。曲も詞も書かず、毎日、妻と最寄りの駅まで散歩して、カフェで2時間しゃべって家に帰るという生活を繰り返していました。
数年を無為に過ごしていたある日の深夜、電話がかかってきたんです。出てみると、同じライブハウスで競演して仲の良かったドラマーでした。その彼が何の前置きもなく、泣きじゃくりながら僕に向かって「ケンちゃん、ボーカルやれよ。歌をうたえよ」って言うんです。落ち込んで音楽から離れていた僕を気遣って、すごく熱い言葉をかけてくれたんですね。後日、姫路で彼をはじめ当時の仲間と会って、カラオケをしました。ロードオブメジャーの曲をリクエストされて歌ったんですが、声が出ませんでした(苦笑)。それでも、彼らは満足してくれて、「最高やん」と言って、泣いてくれた。僕の音楽や声を必要としてくれる人がいるのかもしれないと、思い直すようになりました。
その後、ドラマーの彼とは姫路獨協大学の「表現者であれ」プロジェクトでバンドを結成して、『To The Future』という曲を一緒に演奏しました。姫路獨協大学YouTubeチャンネルにMVが公開されているので聞いてみてください。音楽をやっていて、こういうのが一番嬉しくて幸せなんですよ。何十年を経ても、好きな人とつながることができる。音楽って最高ですね。
曲を作って、配信して、本当に毎日が楽しいですね。僕にとって、所属しているエージェント会社の代表との出会いというのもまた大きくて、彼がいなければここまでの再起は図れなかったと思っています。姫路で立ち直りのきっかけをもらってほどなく、好きなマンガがアニメ化されると聞いて、いてもたってもいられず、曲を作りました。もし主題歌がまだ決まっていなければ、制作の方に聴いてもらいたい。知り合いの音楽関係者に連絡をすると、「東京で会おう」と言ってくれて、そこで引き合わせてくれたのが代表でした。会うなり彼から「1年お試しで、うちと契約しませんか」と打診されたんです。そこから彼との音楽製作が始まりました。彼の考えや言葉は僕の価値観を変えてくれました。「北川さんは、曲の価値をCDが売れることだと思っているのでは?」と言われた時は、ドキッとしましたね。確かに僕は少なからず数字にこだわっていました。「そう考えると、売れない曲はダメな曲になってしまう。それは間違いでしょう」と諭され、「日本で100万枚売れたとしても、中国の人口に換算すれば大した数ではないですよ」という例え話も、妙に納得してしまって(笑)。凝り固まっていた余計なプライドを、全部へし折っていってくれたんです。
そんなこと、書いてありましたか(笑)。でも、確かに割と日々の出来事を大事にしていますね。僕にとって曲を作るというのは、日常から生まれた自分自身の考えや感情をとことんまで掘り起こして、気づいたことをメモするイメージなんです。毎日の出来事を写真や日記に残す人がいるように、僕は自分の記録を音楽に託しています。音楽は、出来事をメロディーで表現します。悲しみの表現一つとっても、コードの選び方によって極めて繊細に、細やかなニュアンスまで表せます。自分の日々の想いを鮮明に再現できるのが、音楽の魅力ですね。
数年に1回のペースで、ロードオブメジャーの楽曲を演奏するライブを開催しています。でも、これも悩んだ末に始めた活動でした。とういうのも、僕は未来志向が強くて、ずっと過去の経験や自分を否定して生きてきたんです。人は成長し続けるもので、昨日より今日、今日より明日の自分のほうが絶対的に良い。過去を懐かしんだり振り返っていたらダメだという生き方です。だから、どこか昔のバンドにも背を向けていたんですね。でも、ある時ふと自問したんです。僕が自分の過去を嫌悪すればするほど、僕を応援してくれていた人や、昔から僕を好きでいてくれる人を否定することにつながるのではないかと。それは僕の本意ではなかったですし、初めてそこで過去と向き合おうと決めて、ロードオブメジャーの曲を演奏するようになりました。そして、昔と今の自分を掘り起こして、掘り起こして、2022年に『全く以て』という曲を作りました。捨ててしまっていた過去を誇りにして、前に進もうという歌です。
そんなふうに心境や曲が変化している最中の2023年夏、茨木県で開催される大きな野外イベントに、ロードオブメジャーの元メンバーとして近藤くんと僕に出演してほしいというオファーが届きました。過去を認められるようになってはいたものの、迷いました。それでも、望んでくれる人がいるし、やはりロードオブメジャーも僕にとって誇れる過去でしたから、出演をさせていただきました。お客さんも喜んでくれましたし、僕らも心から楽しめた。決断して良かったと思っています。
ちょっとだけ後悔するようになりましたね(笑)。極端な未来志向で、過去を振り返らないから、そもそも口惜しいとか、こうすれば良かったという気持ちにならない性分でした。でも最近、「あの時こうしていれば、あの時ああしていなければ」と想像するようになりました。同時に主体性というか自我が芽生えてきました。僕は昔から曲作りこそが喜びだったので、例えば衣装やCDジャケットのデザイン、ミュージックビデオの内容、ツアーのタイトルなどにはまったく無頓着で、「お任せします」というスタンスだったんです。今は過去の後悔も手伝って、「それではいけない」とできる限り関与するようにしています。
歌詞への考え方にも変化が出てきました。昔はとにかく自分の気持ちを精査することなくストレートにぶつけていたんですが、伝わりやすい言葉や一貫したワードを選ぶようになりました。徹底的に掘り起こしてできた曲を、聴いてくれる人に丁寧に届けるように心がけています。
自分の好きなことや喜びを、掘り起こしてみてほしいです。僕は音楽をする場所や機会、音楽を共にする人たちに本当に恵まれてきました。運が良かっただけと片づけることもできるんですが、自分の好きなこと=音楽を見つけて、掘って、発信を続けてきたからこそ、チャンスが生まれて、共感してくれる人が集まってくれて、そして、僕を支えてくれたんだと思っています。若い皆さんのもとに、良い環境と良い人が訪れることを願ってやみません。