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薬学部コラム

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第8回

薬学への道

生物有機化学教室 白石 充 教授


私は昭和23年横浜生まれで、所謂団塊世代の人間です。今から40年余り前の大学生時代を振り返りながら、薬学との関わりについて触れたい。入学時は理工学部(大学には薬学部はない)で、2年次に本人志望と1年次の成績により学科に振り分けられることになっていた。高校時代は数学、物理が好きだったので、当初学科の第一志望は電子工学科だったことを記憶している。1年次の講義・実習の中で、一般化学と基礎化学実験が印象に残っている。一般化学の教科書は当時著名なポーリング先生の上下巻の訳本を使っていたが、担当教官(名前は思い出せない)は今思うに無機化学・物理化学が専門の方だったと思う。なぜなら今では考えられないが、有機化学と生化学の単元をやらずに講義を終了したのである!基礎化学実験の中で有機化学実験が面白かった。スルファニル酸をジアゾ化し、ジメチルアニリンとカップリングしてアゾ染料のメチルオレンジを単離する実験であった。無色の結晶から黄橙色の結晶を取り出した時は少々大げさに言えば錬金術師になった気分がした。“ものづくり”に関心が高まったこともあり、有機化学と生化学の単元を読むことにした。先生によれば、「有機化学者の仕事は大別して(1)天然物の構造決定とその全合成、(2)多数の新規な有機化合物を合成し、実験的事実と論理的な解析によって一般性を見出すことであり、有機化学分野の最終目的は、物質の物理的・化学的性質、さらにまた生理学的性質をその分子構造によって完全に理解することである。だが、構造と生理的活性との関係は、ほんの第一歩を踏み出したに過ぎない。」と結んでいた。こんなことで、2年次に理学部の化学科に進学したのである。

専門課程に入り、有機化学、無機化学、分析化学、生化学の講義・実習の中ではやはり当時新進気鋭の教授(有機合成化学研究の第一人者の一人)の名物講義もあり有機化学への興味は増したが、4年次の配属研究室を決めるに当たって影響されたのは生化学の講義で受けたWatson-Crickの二重らせんモデルに関するセンセイショナルな内容であった。Watson、Crick両博士はご承知の通り、“核酸(DNA)の分子構造と遺伝情報伝達におけるその意義の発見”に対して、1962年度ノーベル医学生理学賞を授与された。3年次の後期終了直前に大学紛争の波が押し寄せ、ご多分に漏れずロックアウトになったが、解除になる頃Watson博士の「遺伝子の分子生物学(上・下巻)」の訳本を読み、改めて感銘を受けたものである。Harvard大学での講義をまとめたものだが、生命現象の本質的な点といってよい遺伝について分子レベルから掘り起こして書かれており、博士らの1953年の発見の興奮が伝わってくるようであった。結局、配属研究室は、先述の教授から半独立し、核酸の構成成分であるヌクレオチドの合成研究を始めておられた助教授 の研究室になった。
この生理活性物質の合成研究が、成り行きとして製薬企業への就職に繋がった感がある。

高度成長真只中(日本の製薬産業は今とは違い黎明期)の大阪万博開催時に就職試験を受け、内定をいただいた。万博後2年足らずの内に景気は後退していたが、内定取り消しにならずに化学研究所に配属になった。以来大阪十三の研究所で30数年間医薬化学の領域で、新規化合物のデザイン・合成研究等に従事し、母校の非常勤講師、薬学部の客員教授を経て現在に至っている。以上がエピソードと言えるほどのものではないが私の薬学領域に踏み込むことになったターニングポイント・経緯である。最後に、学生諸君にやりたいこと、好きなこと、あるいはどんなきっかけでもよいから何か興味を持ったことに熱中・集中し継続すれば、自ずと道は開けると言いたい。

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