• Instagram
  • X
  • YouTube
  • TikTok
岩﨑 充穂
岩﨑 充穂
岩﨑 充穂

02

Interview

音楽制作ディレクター

岩﨑 充穂さん

思いを言葉にすれば

道は開けていく

02

Interview

音楽制作ディレクター

岩﨑 充穂さん

思いを言葉にすれば

道は開けていく

プロフィール

1980年、岡山市生まれ。同市の高校在学中にバンド活動を始める。少しでも神戸や大阪に近づきたいと1999年に姫路獨協大学に入学。経済情報学部に所属して、プログラミングを中心に学んだ。2003年に同大学を卒業した後、大阪でバンド活動を継続。ギターを担当して2007年にはメジャーデビューを果たし将来を嘱望されるも解散し、音楽制作会社に入社。音楽プロデューサー、音楽ディレクターとして数々の映像作品の音楽制作に携わる。

音楽制作ディレクターとしてどんな作品に携わってこられたのですか?

映画やテレビドラマ、アニメーションといった映像作品の劇中で流れる音楽「劇伴」の制作です。担当した作品には、映画では『図書館戦争』、『ビリギャル』、『SING』の日本語吹替版、ドラマでは『JIN-仁-』、NHK連続テレビ小説『ウェルかめ』、アニメなら『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』などがあります。劇伴以外では、アーティストの小柳ゆきさんのアルバムやアフラックCM『まねきねこダックの歌』シリーズなどの音楽制作も担ってきました。

具体的にはどういったお仕事をされるのですか?

作品の世界観やコンセプトに応じた作曲家の選定やアーティスト、ミュージシャンのブッキング、レコーディングのマネジメント、仕上げまでのプロデュースなど多岐に渡ります。あと予算管理も大事な仕事ですね。
もう少し具体的に言えば、ドラマの企画があって、音楽のイメージも具体的にもっているクライアントに対しては、合致する作曲家やアーティストを提示する。音楽のイメージが曖昧な状態であれば、僕が合うと判断したサウンドを提案し、ディスカッションしながら作り手を決めていきます。そのほか、作曲家に曲のアレンジの方向性を示したり、歌をレコーディングするときにはボーカリストに「もう少し情熱的に」「この部分は感情を抜いて歌ってみて」といったディレクションをしたりします。

岩﨑充穂さんインタビュー画像1

印象に残っている作品について教えてください。

一つ挙げるとすればTBSドラマ『JIN-仁-』のメインテーマ曲ですね。依頼を受けドラマの世界観を聞いた音楽チームが提案したのが、二胡(にこ)という楽器でした。中国の伝統的な擦弦楽器(さつげんがっき)で、正式には胡琴(こきん)と言うのですが、もっとも人間の歌声に近い音を出すと言われているんですね。メインテーマのサビで二胡が“歌う”場面があるんですが、一度聞いただけでグッと引き込まれるエモーショナルな温度感が表現できました。ドラマが終了して数年が経った今でも、テレビで流れることがありますし、ドラマのヒットと合わせて印象深い仕事です。

苦労した作品はありますか?

映画『SING』ですかね。2016年にアメリカで公開されたアニメーション映画で、僕は2017年公開の日本語吹替版に携わりました。本作は、擬人化された動物たちが活躍するミュージカル作品で、アメリカ版も日本版も錚々たるアーティストや芸能人がアテレコしたことで知られています。アメリカ版で使用されている楽曲は、当然すべて英語の歌詞が付いているのですが、海外作品の日本版を作る際には、セリフはOKでも曲の吹替や日本語の歌詞をあてるのはNGであることが多いんです。『SING』も同様で、日本語の歌詞や日本人が改めて歌うことは禁止になっていました。でも、たくさんの子どもたちに見てもらう作品です。日本の配給会社を含め、僕たちは絶対に日本語による歌詞、日本のアーティストによる歌で作りたかったんですね。障壁になるのが、一つには日本語による作詞です。英語の歌詞にはスラングをはじめ、独特な表現があるので、和訳にはとても苦心しました。でも、苦労はそれだけではありませんでした。

他にも何かあったのですか?

日本語の歌詞以上に大変だったのは、オリジナル版の権利を持つアーティストたちの許可を得ることでした。僕たちはクオリティに徹底的にこだわるべく、日本のトップクラスの音楽関係者を集めてチームを編成。日本語版のデモテープを作ってアメリカに送り、オリジナル版を歌ったスティーヴィー・ワンダーやアリアナ・グランデ、テイラー・スウィフトといった有名アーティスト一人ひとりの許諾をもらうために、何度も交渉を重ねました。ほとんどのアーティストから許可を得たときは嬉しかったですね。最終的に日本語吹替版『SING』は大ヒット。日本での興行成績は51.1億円を記録し、2022年公開の『SING2』でも音楽制作を任してもらうことができました。

岩﨑充穂さんインタビュー画像2

いつごろから音楽に興味をもたれたのですか?

そもそも僕が音楽に興味をもったきっかけが、小学生の頃に見た映画でした。1985年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』です。マイケル・J・フォックス演じる主人公マーティ・マクフライが、劇中でチャック・ベリーの『ジョニー・B.グッド』をギターで演奏する場面が、めちゃくちゃカッコ良くて。すぐにでもギターを弾いてみたいと思ったんですが、買えなかったので、お小遣いを貯めて中学生の時にやっとの思いで手に入れました。岡山市内の高校に入学した後は、バンド活動にのめりこみました。同級生と一緒にビートルズのコピーや、もちろん『ジョニー・B.グッド』もやりましたよ。コピーに飽きてくるとオリジナルの楽曲も作り始めて、充実していましたね。

姫路獨協大学に入学した後もバンド活動を続けられていたのですか?

高校時代のバンドではなく、新たなメンバーと一緒に活動していました。軽音楽部に所属したわけではなくて、部外で活動している先輩に誘われる形で始めました。経済情報学部の授業では、プログラミングに関するものなど興味のある勉強は積極的だったんですが、それ以上に学生時代は音楽にハマっていましたね(苦笑)。神戸の有名なライブハウスで演奏できるようになって、少しずつお客さんも増えていき、東京の人気バンドと同じステージに立てるようにもなって、音楽の世界って面白いなと思いましたね。

やはり将来は音楽で食べていこうと考えていたのですか?

大学卒業時は、実はそこまでの情熱はなかったんです。実際に企業への就職も考えて、就活もしていました。ただ、どこにも一切興味をもてなかった。「これは無理に働いてもすぐに辞めることになるな」と思って、思案しているところに、知り合いの大阪のバンドから「うちでギターをやらないか」と、悪魔の誘いがきたんです(笑)。それで単身大阪へ。両親は僕の頑固な性格を知っているので、「とりあえずやってみろ」という感じで送り出してくれました。
バンドにはCDを出してデビューするという明確な目標があったので、そのためにどんな曲を作ればいいのかということからスタート。大阪のローカルテレビ局でも、注目の若手バンドみたいに紹介されて、実際にCDも発売して、5年目にはレコード会社の後押しもあって東京に進出しました。

なぜ音楽制作ディレクターの道に進まれたのでしょうか?

結局バンドはそこまで売れずに、メンバーの離脱もあって、6年目で解散。悔いはなかったですね。やり切ったという思いと同時に、映像作品の音楽への興味が湧いてきていた時期だったので、30歳になる手前、進路を変えるには良いタイミングだと感じていました。それで2009年に映像作品の音楽制作会社に入社するのですが、いきなり壁にぶち当たってしまって(苦笑)。僕は作曲者になりたくて入社したのですが、劇伴というのは、オーケストラが演奏するような曲を作らないといけない。僕はギターでのアレンジしかできないですし、劇伴の道にはとんでもないプロフェッショナルがいるわけですよ。「戦えない」と思い直して、プロデュースする側に回ったというわけです。

岩﨑充穂さんインタビュー画像4

音楽制作ディレクターとしてこだわっていることは何でしょう?

クライアントに「無理です、とは言わない」ですね。例えば予算があまり潤沢ではない日本の映像作品で「ハリウッド並みの音楽が欲しい」と依頼されても、「できない」とはねつけるようなことはしません。ひょっとすると叶えられる作曲家がいるかもしれませんし、いろいろと組み合わせることで可能になるかもしれない。自分の経験則で判断しないで、可能性を探って何とか実現させる。僕の音楽制作ディレクターとしてのプライドですね。そして、どんどんと成功例を作り、勝ち癖をつけていく。それを繰り返していますね。

「できないとは言わない」というのは大変だと思うのですが?

それが音楽制作ディレクターとしてのやりがいなんです。ディレクターとしてある程度の知識と経験が備わったある時、仕事がルーティン化して、何一つ面白みを感じなくなってしまった。予算とスケジュールに縛られる現実に嫌気がさしてしまったんです。そこで、どんな案件でも、何か一つチャレンジをしようと決めました。例えばアニメの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』です。監督からは「これまでのガンダム作品にはない、土臭くて泥臭い音楽が欲しい」との依頼。予算・スケジュールに照らすと、従来なら日本のアーティストをあたるところでしたが、作曲家と相談して、海外の音楽に目を付けました。それが「バルカン・ブラス」という、バルカン半島を中心に独自の音楽性を持つブラスバンドの形態。独特のサウンドが本作に最適だと判断し、監督に直訴すると、僕たちの熱意を理解し了承してくれました。ニューヨークにミュージシャンが集まっているという情報をキャッチし、渡米してレコーディングして実現にこぎつけたんです。
日本の映像作品における音楽のクオリティを向上させていきたいです。劇伴の世界では、ワークフロー、作曲、録音、ミックス、予算規模など日本はまだまだ海外に及ばない分野がたくさんあります。そもそもの思想、作り方といった部分でも、学ばなければならない事柄が多々ある。日本の音楽のガラパゴス化を押しとどめて、例えばハリウッドに追いつき、追い越すためにどうすれば良いか、情報のキャッチアップと実地に学びながら、挑戦していきたいと考えています。

音楽は岩﨑さんに何を与えてくれましたか?

音楽を知らない頃の僕は、引っ込み思案で自分に自信がもてない子どもでした。音楽という自己表現の方法を得て、苦手だった人前に出るのも、人と話すのにも積極的になれたんです。
高校生の皆さんにも、自分を表現する何かを見つけて欲しいです。大切なのは何事もできないとあきらめずに、自身の考えや意見をぶつけていくこと。好きな言葉に「有言実行」がありますが、普段から「あれをやりたい、これをやりたい」と夢や希望を口に出していると、自分へはもちろん、周囲への刷り込みにもなって何らか道が開けるものです。他人に話せば、賛同してもらえたら励みになりますし、もし自分の考えと異なる意見をもらえたらしめたもの。それを糧にどうすればいいかを考えれば、実現の近道になります。周囲からの期待やプレッシャーを重荷に感じることもあるでしょう。でも抱え込まずに、それさえも話す、言葉にする。自分がダメだなんて思わずに、どんどんと自分という人間を表現していって欲しいですね。

岩﨑充穂さんインタビュー画像5

  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS
  • SPECIAL CONTENTS