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2014年05月23日

播磨学Ⅰ(第6回)「城主と城下町のくらし」を開催[教務課・地域連携課]

 5月16日(金)、姫路市城郭研究室の工藤茂博氏を講師にお迎えし、「城主と城下町のくらし―姫路城・姫路城下町」というテーマについて、お話しいただきました。講演要旨は以下の通りです。

 姫路城主の日常は、『姫路日記』や『玄武日記』からうかがえる。しかし、城下町のくらしについては、戦災のため町方史料が少なく、実態が不明である。
 姫路城主・酒井忠以の場合、4度姫路に帰国し、そのうち安永6・7年、天明元・2年、天明8・寛政元年の3回の記録が、『玄武日記』残されている。それによれば、江戸を出発して東海道を20日かけて帰国し、国元には5~7ヶ月滞在した後、正室と子供のいる江戸へ戻っていることが分かる。
 日記に残された姫路城の記録としては、天守に落雷して3か月で修理したことや、久長門枡形の石垣修理が申請から21年たって完了した報告がある。また、参勤交代の参府のルートや、着城後の座敷廻りや城内・城外廻りの様子、花見・蹴鞠・管弦・武芸・能・茶事・歌・碁・将棋・家臣宅訪問などの日常生活もうかがうことができる。城主の日常生活にはそれぞれ意味があり、たとえば鷹狩は、帰国に際して将軍から馬と鷹を賜るので、それを用いてとった獲物を献上することは、大事な仕事である。また、鮎釣りや松茸狩りに出かけ家臣に分け与えるが、これは人間関係の再確認の意味を持つ。
 姫路城下町は、全国でも有数の大きな町で、総構の構造を持っていた。城下の家数は2,847軒、酒屋が175軒と約6%を占め、町人の人口21,526人で、大工176人、職人639人、医者118人という記録が残っている。

(文責:播磨学担当者 大塚健洋)