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2014年12月16日

播磨学II(第9回)「肖像文化について」開講(報告)[教務課・地域連携課]

11月28日(金)、姫路市立美術館の平瀬礼太学芸員を講師にお迎えし、「肖像文化について」というテーマでお話しいただきました。平瀬氏は本年8月、『〈肖像〉文化考』という著書を春秋社から出版しておられます。講演要旨は以下の通りです。

肖像の「肖」は、「あやかる」と読み、影響を受けて同じ状態になる状況や、他人の幸運や成功を味方につける場合に使われる。肖像は偉人や目上の人物を描く場合が圧倒的に多く、肖像の主の徳望や叡智にあやかりたいという気持ちが込められている。
肖像はその人物を代表するにふさわしい容貌と人格を表現した絵姿であるので、忠実に表しているとは限らない。日本では古来、本物そっくりに描くことを忌み嫌う考え方があった。絵師の住吉廣行は、似せて描いてはいけない、すぐに命を損なうこともあるから寿像は必ず似ないように描くべきだ、と言ったという。 戦前の日本では天皇と皇后の肖像、御真影は侵されざるべき極めて高貴で敬慕すべき対象であった。そのため、地震や火事などの危険から御真影を護るために、命を落とす教員が後を絶たなかった。また、御真影を隠匿して校長を困らせる事件も起こった。
肖像は身代わりとして冒涜の対象ともなった。森寛斎「人躰的異人図」は、下関攘夷戦争1周年の記念を祝して銃撃されたが、弾痕の横には撃った人物の名が記されている。藁人形の因習は今日まで残っている。
肖像は人と人を結びつける役割も果たした。戦時下には、新郎新婦のほか、出席者は両親と仲人だけで、その他の親族は似顔絵であった例がある。また山形では、未婚のままで死んだ息子のために、架空の花嫁を描き出して絵の中で添わせるムサカリ絵画というものもあった。

(文責:講義担当責任者 大塚健洋)