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2015年02月23日

播磨学II(第13回)「姫路と阿部知二」開講(報告)[教務課・地域連携課]

1月9日(金)、阿部知二研究会事務局長で、『阿部知二~原郷への旅』を著された森本穫氏を講師にお迎えし、「姫路と阿部知二」というテーマについてお話しいただきました。講演要旨は以下の通りです。

小説家の阿部知二は、明治36年、岡山県湯郷村に生まれた。阿部家に婿入りした父の良平は、代用教員として勤めていたが、日本紋章学の大家である沼田頼輔に出会って、一念発起。文部省検定試験を受けて、教師の資格を取った。知二は、父の米子中学校赴任により、生後60日で故郷を離れる。大正2年、父の姫路中学転任により、姫路市坊主町に住む。旧制姫中を4年で卒業し、第8高等学校、東京帝国大学英文科へ進学。姫路高等女学校の教師であった兄の公平の影響を受け、文学に近づいた。父や兄の経歴は墓誌によって確認できる。

昭和5年、『新潮』に「日独対抗競技」を発表して文壇デビュー。『主知的文学論』を出版し、私小説の氾濫する文壇に旋風を巻き起こす。昭和11年、代表作『冬の宿』を発表。戦後は姫路文化連盟会長に就任し、姫路の文化人の中心として活躍した。写真は清水橋西にある阿部知二文学碑である(大塚撮影)。

平成4年には、阿部知二研究会が設立され、、読書会や秋期研究大会、知二の命日である4月23日前後の日曜日に知二忌を開催している。

文責:講義担当責任者 大塚健洋