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2014年12月16日

播磨学II(第10回)「お夏清十郎ものがたり」開講(報告)[教務課・地域連携課]

12月5日(金)、姫路文学館学芸課係長の甲斐史子氏を講師にお迎えし、「姫路城下を彩る純愛『お夏清十郎ものがたり』」というテーマについてお話しいただきました。講演要旨は以下の通りです。


お夏清十郎とは、江戸時代初めに姫路で起こった事件をもとに生まれ、現代にまで語り継がれてきた伝説である。それは商家の娘お夏と手代の清十郎が、身分違いの恋の末引き裂かれ、清十郎が刑死、お夏は狂乱の末に尼になったというものである。

『村翁夜話』には、二人の記述がみられるので、実際にそのような事件があったことが分かる。時は寛文2年(1662)頃。事件の現場は、姫路城大手門の中の門筋と西国街道が交差する目抜き通りの但馬屋であった。大店のスキャンダルは、たちまち人々の好奇心を煽り、「清十郎殺さばお夏も殺せ 生きて思いをさしょよりも」、「向う通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た菅笠が」といったはやり歌によって広まっていく。

それを小説化したのが、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』の「姿姫路清十郎物語」であった。西鶴は室津を舞台に放蕩三昧であった清十郎の前歴をつづることで、そのような男に惚れこむお夏の魔性を見事に描き出す。花見の日の大胆な愛の交歓から一転、駆け落ちをしくじり盗みの濡れ衣で打ち首となる清十郎、狂乱に陥るお夏、2人の末路は読者の哀れみをいっそう掻き立てたに違いない。
その後、近松門左衛門は人形浄瑠璃でよりドラマティックに舞台化し、歌舞伎や浄瑠璃の世界で「お夏清十郎もの」というジャンルが形成された。明治文学にもこの伝説が伝わり、島崎藤村の『若菜集』には「四つの袖」が収められている。
姫路の慶雲寺には、お夏清十郎の比翼塚(写真:大塚撮影)がまつられ、毎年8月9・10日には追善の催しが行われている。

(文責:講義担当責任者 大塚健洋)